「私が稼がないとやっていけないでしょ!」休日も働くキャリアウーマンが婚約者にモラハラしてしまう深い事情
広告代理店で働く浅間奈月は、同棲中の大牧陽多との結婚を控えている。しかし、離婚した父親から受けたモラハラや、会社での激務に追われている影響で、優しく受け止めてくれる陽多にもキツく当たってしまい、結婚に前向きになれずにいた――。(第1回/全3回) 【画像】毒親だった父親と同じようになっていく ※本稿は、龍たまこ・中川瑛『99%離婚 離婚した毒父は変われるか』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。 ■結婚の準備でイライラ
■私たち、幸せな夫婦になれるかなぁ
■自分の親を「毒親」だと認めることの勇気 自分の親が毒親だと認めることは、とても勇気が要ります。「育ててくれた人にそんな言葉を使うなんて」「そんなふうに考える自分のほうがおかしい」と、自責の念にかられたりもするでしょう。 自分が毒親にならないために、必ずしも「毒親」という言葉を使う必要はありません。親との関わりの中で傷つきがあったことを認め、それを子どもとの関係で繰り返さないために、どうしたらいいかを考えるヒントにする。そのくらいのスタンスだと気が楽かもしれません。 毒親という言葉と自分への影響を知ると、「自分は子どもを持つべきではない」「誰かと関係を持ってはいけない」「死んだ方がいいのではないか」と苦しむ方が多くいます。既にお子さんがいる場合は、「生きづらさを連鎖させないようにするにはどうしたらいいのか」「どう子どもと関わればいいのか」と悩んだり「もっと早く知っていれば……」と後悔する方もいます。 ■悩むこと、ためらうことの大切さ 僕は、何よりもそうやって葛藤し、悩むことこそが、一番大切で誠実なことだと思います。それは、自分の正しさを疑い、ためらうことです。ためらいこそが愛です。 「本当にこれでいいのだろうか」「他にも選択肢があったんじゃないだろうか」と悩むことは、心理的・時間的・体力的に大きな負担が伴います。いっそ「これが正しい」とか「どうしようもない」と投げ出すほうがずっと簡単です。 しかし、そうしてしまえば、お子さんから「あれは嫌だった」と言われた時に「私がされていたことに比べたら大したことない」「こっちにも事情があった」「それ以上責めないで」「親不孝」と反撃し、お子さんの傷つきを押さえ込んでしまうでしょう。 それが加害です。誰かを傷つけようとしているのではなく、自分を守るために結果的に周りを傷つけ、孤独になる存在が、加害者だと考えています。加害者の認識では、自分がしていることは「反撃」であって「攻撃」ではないのです。 逆にためらいながら人と接する人は、相手が傷つきを伝えてくれた時に、反撃に転じません。相手がニーズを教えてくれていると考えます。反撃が必要な危険な場面ではなく、ケアのチャンスだと捉えます。