「周りからは『和田毅は終わった』…だから見返したかった」背番「18」とプロ入り時に決別、14年前に語った「21」に込めた想い
ソフトバンクの和田毅投手(43)が5日、福岡市のみずほペイペイドーム内で記者会見を開き、今季限りで引退することを表明。「周りからは『和田毅は終わった』…だから見返したかった」と語った14年前の記事を復刻し、プロ入り時に大学時代の背番号「18」と決別し背負った「21」に込めた想いなどを紹介します。 ■和田毅が元タレント夫人と腕組みハニカミ2ショット【写真複数】 【2010年10月15日 西日本スポーツより】 エースの借りはオレが返したバイ! クライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ第2戦は、先発和田毅投手(29)が最多勝投手の実力を見せ、ロッテ打線をプレーオフ(PO)とCS通じてパ最少の2安打に抑える完投勝ち。しかも8回まで毎回の13奪三振で1点を失っただけ。POとCS合わせ、完投勝利はホークス投手陣で初めて、2ケタ奪三振はセ・パで5人目7度目という快投だ。エース杉内俊哉で敗れた初戦の嫌なムードを一掃し、ロッテに1勝リードした。あと2勝で日本シリーズだ。 ラストイニングに向かう和田の背を、歓声と拍手が追いかけた。「鳥肌が立ちました」。誰にも譲らず、死守してきたマウンド。無形のパワーを注入された左腕に怖いものはない。勝利の瞬間も、当たり前のように立っていた。西岡から始まったロッテの攻撃を5球で終わらせた。プレーオフを通じて3戦未勝利だったCSで初めて見せた笑顔。1勝のアドバンテージと合わせてホークスが2勝1敗で先行した。 鋼の心は揺るがなかった。伏兵清田育宏にソロを浴びた初回。16本のファウルを打たれるなど39球を費やした。それでも自分の生命線を信じた。「真っすぐはいい感じだったから」。3アウトはすべて見逃しの三振だった。「何とか初回を乗り切ろうと、自然とひじが入りすぎていた」。修正した3回以降は完全投球。CS用に準備したカットボールも使うことはなかった。08年にダルビッシュがマークしたCS記録の14三振に迫る13三振。マリンガン打線に付け入るスキを与えなかった。 新人の03年から5年連続で続けた2ケタ勝利が途切れた08年は8勝、左ひじを痛めた09年は4勝。通算の勝ち星でも杉内に抜かれた。「周りからは『和田毅は終わった』と思われていただろう。だから見返したかった」。スムーズな体重移動から最大の武器でもある真っすぐを磨き直すため、股(こ)関節回りを鍛えた。ただ、和田が本当に取り戻したかったのは背中の「誇り」だったかもしれない。 早大時代は藤井秀悟(巨人)から継承し、左のエースナンバーと呼ばれた「18」を背負った。だが、プロ入りと同時に決別。「大輔(松坂)が18をつけていたということもあるけど、一番は21世紀のエースを目指すという思いを込めた。21といえば和田、と呼ばれたかった」。原点回帰の今季は自ら「21勝」を掲げ、シーズン17個の白星を積み上げる原動力になった。 初戦で唇をかみしめたライバルの悔しさも晴らした。「スギでやられて成瀬に完投を許した。絶対に完投して、スギの借りを返そうと」。134球の完投返し。首脳陣からは終盤2度にわたって交代の打診も受けたが、降りる気はなかった。 プロ入りする際、ホークスを選んだ理由の一つに挙げたのは福岡の声援だった。「本当にすごい熱気だったし、あの中で投げると思うと鳥肌が立った」。時が流れ、8年前の誓いを実現した。背中の「21」に誇りを取り戻し、チームに息吹を吹き込んだ。不屈の男が今度、鳥肌を立てるのは頂上決戦のマウンドだ。(西口憲一) 【#OTTOホークス情報】 ▼引退会見詳報は【関連記事から】▼
西日本新聞社