<芽生えの春・有田工センバツへ>第2部/4 特別顧問 チーム支え、夢舞台再び /佐賀
「夏の甲子園に出場した2013年から9年近くなるけど、いつまたいけるんだろうかと思っていた。意外と早くその夢が実現してくれてうれしい」。有田工野球部特別顧問の長島彰さん(77)はそう喜ぶ。 長島さんは防護ネットの補修やラインのポイント打ちなど野球部の練習環境を支える。ほぼ毎試合に駆けつけ、一投一打を記録する。「僕がやっているのはプレーの仕事ではなく裏方。自己満足でやっているだけ」と話すが、上原風雅主将(2年)は「影のコーチ的な存在。平日や休日も練習に来てくれて、環境を支えてもらっている」と感謝し、選手に思いは伝わっている。 窯業科(現セラミック科)教諭として赴任した1969年から定年退職するまで有田工の教壇に立ち、有田工を「第2の母校」と語る。小さな頃から野球好きだったが、母親の勧めで中学時代は剣道部に所属していた。友人とよく草野球をしてだけで、野球を本格的に習ったことはなかった。バレー部顧問などを経て99年に念願だった野球部の部長となり、定年退職後は特別顧問として部を見守る。 部長就任前から野球部員を試合に送迎したりしてきた長島さんは今のチーム関係者で唯一、13年夏の甲子園に同行していた。初めて立った憧れの場所は甲子園練習の時だった。観客のいない球場の広さと緑色のスタンドの座席。「やっとここにきたな」と実感した。「負けたら1日で帰らないといけないから初日は引かないでほしい」と思いながら臨んだ抽選会で、桑原耕生主将は初日の開幕試合を引き当てた。大垣日大(岐阜)との試合は超満員だった観客の熱気が後押しして、初陣だった有田工は逆転で甲子園初勝利を挙げた。 今も教え子と親交がある。有田工が60年ぶりに臨んだ九州地区大会の初戦の21年11月6日は甲子園に出場した13年時の主将だった桑原さんの結婚式に出席していて、式場も九州地区大会への期待で持ちきりだった。そしてセンバツ出場が決定すると、当時の主戦だった北海道日本ハムファイターズの古川侑利投手(26)から「自分たちを超えてほしい」とショートメッセージが届いた。 20年以上も野球部を見守ってきた長島さんは「みんながまとまっていて本当に良いチーム。派手なプレーじゃなく、地味でいい。気持ちを込めた全力プレーをしてほしい」と期待を寄せる。13年夏に続いて、春の初勝利もスタンドで見届けるつもりだ。【井土映美】