衛視投入や開会ベル、国会議長の職権は 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語
議長をめぐる「逸話」
議長の権限は限界があると思い知らされた出来事も数多くあります。 2004年の自衛隊イラク派遣をめぐる与野党攻防で、議長就任までは慎重姿勢で、就任後も日本人外交官殺害事件を引き合いに「弔い合戦」という雰囲気になっていないか、あおっているような気もすると不安を口にしていた河野洋平議長は、審議中も自民党の中川秀直国対委員長と民主党の野田佳彦国対委員長を議長室に呼んで話し合うよう促したものの決裂して与党単独での衆議院可決を許しています。 2009年に政権を握った民主党は、小沢一郎幹事長が断固成立を目指した中小企業者等金融円滑化臨時措置法案で揉めます。横路孝弘衆議院議長に野党自民党と公明党が再三にわたって仲裁するように求めましたが「それは国会対策委員の間で」とムニャムニャ。指導力を発揮せぬまま与党による単独採決となりました。 事実上クビを飛ばされたと言ってもいいケースもあります。1989年、予算を自民党単独で通過させて野党が硬化したのを受けて、自民党は原健三郎衆議院議長の辞任でカタをつけようとしました。ところが原議長は頑として受け付けません。採決は自民党に頼まれたから踏み切ったのに成立したら手のひら返しとは何ごとだ。自民党は腰抜けだ。止めさせたいのならば議長不信任案を可決させろ。そうなったら議長どころか議員まで辞めてやる!と態度を硬化させて抵抗しました。与党が議長不信任賛成など前代未聞で、でもそうしないと「弁天様のお告げ待ち」(原氏が信心していた仏教の守護神)という危うい状況で、結局野党ではなく自民党による不信任決議でも出すかというところまで来て、やっと辞任しました。55年体制発足から10年ほどはこうした「議長のクビを手土産に国会正常化」が普通に起きていました。 あっせんの失敗例も。2000年10月参議院比例代表選挙の方式をこれまでの拘束名簿式(順番を決めて上位から当選)から非拘束名簿式(現在の制度)に変える公職選挙法改正案で与野党がぶつかり合いました。賛成する自民党など与党と反対する野党に斎藤十朗参議院議長が独自の「拘束と非拘束のミックス案」を示して騒ぎとなりました。野党は「非拘束が残っているので反対」で、与党もすでに委員会採決で可決している法案の内容まで修正するのは異例であり認められないとやはり反対。あっせんは失敗に終わり四面楚歌の状態となった議長は結局辞任しました。
--------------------------------------------------- ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】