東京大学の卒業式で厳しい「政府批判」が堂々と 南原繁総長の伝説的な式辞の中身は
戦後民主主義の出発
1946年(昭和21年)11月3日、大日本帝国憲法に代わって日本国憲法が公布され、翌年5月3日に施行されました。いわゆる戦後民主主義の実質的な出発です。1947年9月30日の卒業式式辞には、こうした価値観の根本的な転換を高らかに宣言する文言が見られます。重要な文章なので、少し長めに引用してみましょう。 〈まことに諸君が入りゆく国家の政治生活は、もはや昔日のそれではない。神聖化された国家主義と軍国主義は永久に滅び、いま新しく平和と民主主義の国家は建設されんとしてゐるのである。それはわが国に於て永く抑圧せられた「人間の回復」であり、「人権の宣言」である。民主主義に不朽の意義ありとすれば、それは明らかに国家権力の優位などでなくして、何よりも主体的なる人間人格の諸々の自由と権利思想に在るのである。 然るに、近代国家主義は、殊にわが国に在つては、余りにも人間の社会を非人間化し、奴隷化し、時に野獣化し来つたのである。それを極度に曝露したものが戦争であつた。本来、人間のために、人間自らが作った権力が、人間以上のものとなり、それ自身を客観化し、独自の存在と威力とを以て、人間の上に君臨するに至つたのである。今次の暴挙たる大戦の悲劇はかくして演ぜられたのであつた。 いまわれわれは人間理想を深く自覚することに依り、正義に基づく恒久平和を念願し、戦争を絶対否定し、一切の武力をすら棄て去つたのである。ここに近代国家主義の表徴たる軍と戦争は、少くともわが国に関する限り、地を払つたのである。 そればかりではない。軍国主義と共に、神権的君主政治と専制的官僚主義は倒れたのである。国家の主権はわれわれ国民の手に在り、政府はもはや天皇の官府であるのでなく、国民の厳粛なる信托によつて国民のために存するのである。〉
消えた帝国の二文字
国家主義と軍国主義の終焉を宣言し、恒久平和と戦争放棄の理念を確認するこの力強い式辞を読むと、戦時中の東大総長たちが(おのれの意志に反してではあれ)軍部の意に沿った天皇礼賛と戦意高揚の言葉を繰り返し述べていたこととの対比が、いやがうえにも際立ってきます。 前任者の内田祥三総長が卒業式の式辞で「大御心の有難さは、恐惶恐懼(きょうこうきょうく)、唯々感涙の流るゝを禁じ得ないのであります」と述べていたのは、ほんの2年前、1945年9月25日のことでした。しかし今、南原繁総長の口からは「軍国主義と共に、神権的君主政治と専制的官僚主義は倒れたのである」という言葉が発され、政府はもはや「天皇の官府」ではなく、国民の厳粛な信託による機関となったのであるということが語られています。こうして両総長の式辞を読み比べてみれば、敗戦後の価値転換がいかに劇的なものであったかがうかがえます。 なお、この式辞が述べられた1947年9月30日、「東京帝国大学」はふたたび創立期の「東京大学」という名称に変更されました。およそ60年ぶりに「帝国」という言葉が消えたわけですが、これも戦後における大学の位置づけや役割の変化を象徴するできごとのひとつでしょう。 ※石井洋二郎『東京大学の式辞―歴代総長の贈る言葉―』(新潮新書)から一部を再編集。
石井洋二郎(いしいようじろう)1951(昭和26)年東京都生まれ。専門はフランス文学・思想。東京大学教養学部長、副学長などを務める。東京大学名誉教授。『ロートレアモン 越境と創造』など著書多数。2015年に教養学部の学位記伝達式で読んだ式辞が大きな話題になった。 デイリー新潮編集部
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