東京大学の卒業式で厳しい「政府批判」が堂々と 南原繁総長の伝説的な式辞の中身は
戦争で亡くなった学生たちへの言葉
〈今次大戦において出陣したるのみに永久に還らぬわが若き同友学徒並びに職員諸君のために、茲(ここ)に悲しき記念の式を挙行せんとして、感懐尽(つ)くるところを知らない。 顧(かえりみ)れば此の幾歳、われわれ国民は何処をどう辿り来ったか。混沌錯乱あたかも模糊たる夢の中を彷徨しつつあった如くである。然し、それにしては余りに厳しき歴史の現実であり、次々に大なる事件の発生、それに依る不安と焦慮、緊張と興奮、絶望と悲哀の交織(こうしょく)であった。唯一事、それを貫いて、今や白日の下に曝されたことは、軍閥・超国家主義者等少数者の無知と無謀と野望さへに依って企てられた只戦争一途と、そして没落の断崖目がけて、国を挙げての突入であった。〉 この戦争が「軍閥・超国家主義者等少数者の無知と無謀と野望」によって推進されたものであったことを明確に断言するこの一節を読むとき、ようやく「模糊たる夢」から醒めた理性の言葉が東京大学総長の口から発される日が来たのかという思いを禁じえません。 狂躁の日々にあっても自らの理性と良心に従って冷静に学問に従事していた学生たちは、前章で見たように徴兵延期の特権を停止されてひとたび戦場に駆り出されると、複雑な思いを心中に抱えながらも「没落の断崖」めがけて突入していく国家の意志と命令に従うほかなく、軍人としての任務を忠実に遂行したのでした。そのことを述べた上で、南原総長は1945年8月15日という「呪はしき運命の日」を目にすることのなかった戦没学生たちに向けて、次のような言葉を贈ります。 〈然し、諸君に告げ度いことは、われらの行手に民族の新な曙光、大いなる黎明は既に明け初めつつあることである。今やわが国は有史以来の偉大なる政治的社会的精神的変革を遂げつつある。われらはそれを通して平和と道義の真正日本の建設と新日本文化の創造を為さなければならない。これこそは就中(なかんずく)われわれ学徒が精魂を傾けて成し遂げねばならぬ偉業であり、心血を注いでのわれらの新な戦―「理性」を薔薇の花として、それと厳しき「現実」との融和を図る平和の戦である。〉 敗戦によって国民が背負った「現実の十字架」の重みに耐え、理性の力をもって新たな日本を築かなければならないというこの決意は、その後数年間にわたって儀式のたびに読み上げられたすべての式辞を貫く基調となっています。 その意味で、この慰霊祭で語られた言葉は戦没学生たちに捧げられた真情あふれる追悼の辞であると同時に、生き残った者たちに向けられた期待と鼓舞の呼びかけでもあり、総長としての南原繁の出発点であったと言ってもいいでしょう。彼が無教会主義のキリスト教信者であったことも、こうした姿勢の根底にあると思われます。