阪神淡路大震災「他人事じゃない」 ── 神戸大・新聞編集長の想い
「阪神淡路大震災から20年。学生に震災のこと、自分たちがよく知る場所がどんな被害を受けたか知ってほしい」──。そう語る神戸大学(神戸市灘区)発達科学部3年の田中謙太郎さん(21)は、同大学で新聞を発行する「神戸大学ニュースネット委員会」の編集長を務める。毎年1月は同震災特集記事を掲載しており、今年は20年という節目ということもあって、これまで以上に取材・編集に全力投球で取り組んだ。
阪神淡路大震災が遠い出来事から身近なものへ
田中さんは長崎県出身。正直、この震災のことは遠い場所での出来事にすぎなかった。神戸大入学後に同ニュースネット委員会に入り、震災にかんする初取材は1回生の時。亡くなった学生の遺族を取材する先輩に同行したことだった。「先輩は遺族の方は最初から『重い感じ』で話しを聞くのではなく、とコミュニケーションを取り、ごはんを食べながら深く聞いていた。そのことがとても印象的でした」 同大学では、39人もの学生が震災によって命を落とした。田中さんによると、この同委員会が立ち上がったのも、震災が発生した1995年、大学の生徒に「状況を伝える」ためにできたものだという。そのため、毎年1月発行分は「阪神淡路大震災特集」の制作に取り組んでいる。 田中さんは、先輩などから伝え聞いてはいるものの、この震災のことを知らず「遺族の目線に立てているのか」という気持ちと葛藤しながら取材を続けてきた。だが、亡くなった学生の遺族や友人、そして学内の当時の被災状況などの取材を重ね、同じ大学に通っていた人が命を落とし、どれだけ無念だったか。また、残された家族や友人の気持ちを聞き続けることで、この震災が遠い出来事から「身近なもの」へと変わっていったという。
20年の原点回帰「身近な場所の被災時の様子知って」
年を追うごとに「学生39人が亡くなった」という事実を知らない人が全体の3割にのぼったと、学内で行ったアンケート調査結果で知った。いまや神戸市内でも住民の4割が震災を知らないという調査結果も出ており「風化が進んでいる」ということを実感した瞬間だった。 そんな中、昨年、同委員会の編集長に就任。「どうやって阪神淡路を知ってもらうか日々悩んでます」と胸中を吐露するが「20年」ということを機に原点回帰で特集号制作に取り組んだ。 まず、同委員会内で撮影した写真のネガを掘り出し、現像する作業を始めた。その写真を使い当時の被災状況を改めて伝えた。また、学内だけでなく、地域の被災時の様子もまとめたという。「学生に知ってもらうには、まず自分たちがいちばん接している学内や地域がどれだけの被害を受けたかを改めて知ってもらいたい」。そして同委員会20年分の集大成をいま一度みてもらうことで、この震災が「他人事」ではないということを伝えたいという思いもある。
17日は東遊園地で取材、現地の声を速報
17日は追悼行事が行われる神戸市中央区の東遊園地へも行き、現地の様子を取材。それを公式サイト特設ページを使って速報で紹介する予定だという。 また、同委員会に残っている先輩たちの撮った被災状況を伝える写真の公開も考えている。「これらの活動を持って僕らは引退ですけど頑張ります。こうした特集を発行できるのも、仲間たち、そして先輩方が見守ってくれてたからこそなので」。そんな思いを胸に、編集長として最後のさいごまで「全力投球」で臨むことを誓う。