「どれだけ拡大しても本物」鉛筆で描くボルト 強迫性障害で一度は〝引退〟した作家、復活の背景は
姉の投稿がきっかけで
通信制の高校へ編入後、進路について考えたときに思い浮かんだのが「得意」を生かすことでした。地元大学のデザイン学部を目指すため画塾に通い、デッサンを学びました。ジャンルは異なりますが、鉛筆で紙に描くことに慣れ親しんだ時期だったといいます。 大学へはデッサンを中心とした推薦入試を経て入学しました。しかし、再び行き詰まります。「多くの課題を抱えてそつなくこなすことが自分の性格に合いませんでした」。2年目から休学し、そのまま中退しました。 一方で、「一つのことに集中して突き詰めるのには向いている性格」だという思いを強くした大森さん。鉛筆で人や車などを描きました。 2017年、23歳のときに今回話題になったボルトの作品に取り組みました。5歳上の姉が途中経過をSNSに投稿すると、約30万の「いいね」がつき、広く認知されることに。本格的に発信をするようになりました。 「後先考えず力試しのような感覚で、とにかく一生に1枚のものを描きたいと思っていました。多くの反応をいただき、見失っていた存在価値や意義を感じることができて頑張る方向性が見えました」
突然の〝引退宣言〟
クオリティを追求し、不定期で作品を発信しました。海外メディアでも取り上げられ、国境を越えてフォロワーが増えたそうです。 しかし、2022年9月、突然SNSで〝引退〟を告げました。 <鉛筆画を描く人生は一旦終わりにします(しました)。 神経質さを逆手に取って描き続けた結果、神経質をより助長し、強迫性障害(確認強迫)が悪化してしまったので。 ――大森浩平さんのX(@kohei6620)より> 「絵を描くこと、完全な状態で作品を保管することに神経を使って疲れていました。一度はすべて燃やそうかとさえ思い、鉛筆画と縁を切れば楽かなと思って引退宣言をしました」 大森さんはそう振り返ります。 SNSユーザーからは「休んで復活してほしいです」「とても勇気のいる決断だったと思います」「ご自身のペースで好きな時に好きなように表現の形を変えていかれて下さい」「ここまで極められたご自分は誇るべきだと思います」と気遣いや惜しむ声が寄せられました。