『中学生日記』は名古屋で制作されていた…近藤芳正さんが振り返る当時の思い出、芸能界にも多い“出身者”「大きな刺激を受けますから」
◇第33回「伝説の学園ドラマNHK『中学生日記』は名古屋発」その1 日本の学園ドラマで最長寿シリーズがNHK名古屋放送局でかつて制作されていた。2012年まで放送された「中学生日記」だ。1962年に「中学生次郎」としてスタートし、期間は実に50年に及んだ。名古屋の架空の中学校を舞台に、オーディションで選ばれた現役中学生らが生徒役で出演しており、数々の俳優も輩出。76~78年に本名で出演した名古屋市出身の俳優近藤芳正さん(63)に当時の思い出を聞いた。(構成・鶴田真也) ◇ ◇ ◇ -『中学生日記』に出演されたのはいつごろ? 近藤さん「最初はエキストラで出ていたんですけど、中学3年のときにオーディションを受けたら受かりました。中3と高1の2年間。演じたのは中2と中3だったんですけど。その頃は中2、中3、高1と3つの3学年の人たちが同じクラスを演じるという形をやってました」 -出演のきっかけは? 「小学校のときに学芸会で『夕鶴』をやりましてね。(主役を務めた)『与ひょう』の評判がすごく良くて、同級生の父母さん、担任でない先生からも褒めていただいた。そんなに評判がいいんだったら中学に入ったら児童劇団に入りたいって言って、地元の巣山プロ(ダクション)に所属させてもらったんです」 -収録があるときはどんな生活サイクル? 「昼間は学校に行って、夜はNHKみたいな日々。火曜が本読み。水、木曜にリハーサル室で稽古して金曜がセットリハーサルです。それで土、日曜と収録をするという感じ。土曜日は当時の学校は半ドンだったんで昼から撮影。30分版を2本撮りました。翌週はロケ。ロケがなければ休みでした」 -保護者が付き添う? 「来ないですよ。全然ほったらかしですよ。放課後に演技塾に行っているような感じです。午後8時を過ぎると、局からタクシーが出るんで『やったぁ、タクシーだぁ』と皆で騒いでましたよ。僕は毎週のように出させてもらいました。主役の子の後ろで『近藤、ちょっとふざけといてくれ』と指示されて『分かりました』って感じで」 -近藤さんも主役を務められた 「4回ぐらいでしたか。当時は役名が本名でした。僕は肥満児だったので肥えたディレクターさんに『俺の子供の頃に似ている』と感情移入してもらえて主役にしてくださった。そのうちの1回はNHKアーカイブスのホームページから一部が見られますよ」 -その後は本格的に役者を目指すために上京する 「早く役者になりたかった。風間先生役だった湯浅実(まこと)さんにいろいろな基本を教わり、あの方のいらっしゃる劇団青年座に行こうということで高校卒業後に劇団の研究所に合格して入って。それで東京に引っ越したんですよ。上京後もご自宅で、芝居は何が面白いのかとか、いろいろと教わりました」 -2007年には生徒の父親役で中学生日記に再び出演された 「作家の重松清さんが、子役のときに僕が主役を務めた『闘争宣言』の回をアーカイブスでご覧になったそうで、30年後に45歳になった“近藤君”が15歳の息子に何を伝えて、何を伝えないかをドラマにしたら面白いということで企画していただいて。『僕は、ここにいる。~父と子の闘争日記~』というシリーズで春夏秋冬の年4回やりました」 -長寿番組だったが、12年に最終回を迎えた 「『3年B組金八先生』の元になったと言われてましたね。ただ、生徒役の僕らが(伝統を)受け継いできたという意識はなくて、NHKのスタッフの方とか局の考え方があって長く続いていったことなんで。CK(名古屋放送局)には東京とも大阪とも違う柔らかさ、自由さというものがあって子供心ながら結構、大人たちが自由にやりたいように撮っているなという感じがあった」