アンジェラ・アキ 「無期限の活動休止」から10年。夢だったミュージカル音楽家として日本での活動を再開
■LAでは100%学生の生活 名門・南カリフォルニア大学に入学した理由は、アラニス・モリセットのプロデューサーとして知られるグレン・バラードの勧めだったとか。家族でLAに移住し、子育てをしながら「100%学生」の生活を送ったという。 「子どもが小さかったので、デイサービスを利用して、大学に通って。授業が終わったら子どもをピックアップして、家に帰ったらまた勉強という生活でしたね。大変だったけど、大人になってから勉強し直すのはすごく意味のあることだと思いました。自分自身が興味を持っていることを学ぶわけだから、苦でもなんでもないんですよ。ただ学費がすごく高かったので、少しでも元を取ろうと思って(笑)、クラスの最前列で質問しまくってました」 2年間のカリキュラムを終えたあとは、バークリー音楽院のオンライン講座を受講。音楽の勉強を継続しながら、少しずつミュージカルに関わる仕事をスタートさせた。特筆すべきはディズニーの短編ミュージカル作品「アウト・オブ・シャドウランド」。ミュージカル「ファン・ホーム」でトニー賞を受賞した作曲家ジェニーン・テソーリの楽曲に作詞家として参加したのだ。 「ジェニーンは現代のブロードウェイ・ミュージカル界のなかでも3本の指に入る作曲家。この業界で『ジェニーンと仕事をした』と言えば誰もが驚くし、『自分が進んできた方向は間違ってなかった』と思える奇跡のような出来事でした。ジェニーンとは今も関係が続いていて、新作のオープニングパーティに招待してくれることもあって。ブロードウェイのミュージカルがどのように成り立っているかを間近で見ることができたのもすごく良い経験となりました。日本に比べたら、ミュージカルの世界で仕事をしている女性の数も多いんですよ。もちろん女性の立場を勝ち取ってきたムーブメントの成果だし、それは今も続いていますね」
■「この世界の片隅に」で日本での活動を再開 そして昨年、2024年5月から日本各地で上演されるミュージカル作品「この世界の片隅に」(原作マンガ:こうの史代)の音楽を担当することを発表。10年ぶりに日本での活動を再開させた。太平洋戦争末期の呉を舞台に、大きな時代の流れに巻き込まれながら、必死で日常を生きる人々を描いた「この世界の片隅に」は、2016年にアニメ映画化され大ヒットを記録した。 「もともと原作の漫画が大好きで、映画も観ていて。この作品をミュージカルにするのなら、ぜひ参加したいと思いました。私は昭和生まれの昭和育ちで、自然が豊かな徳島の出身。『この世界の片隅に』で描かれている風景や状況も、自分の琴線に触れるんですよね。背景には太平洋戦争があるし、単なる人情話とはまったく違うんですけど、作品の世界に共感できたことはすごく大きかったです」 ミュージカル「この世界の片隅に」のために約2年間で30曲近い楽曲を制作したというアンジェラさん。アメリカで発展したミュージカル音楽への深い理解、そして、日本の原風景に対する共感。アメリカと日本という二つのルーツを持つ彼女がこの作品に関わったのは必然だったと言えるだろう。 「アメリカのスタッフと仕事をしていても、“不思議なバックグランドですね”とよく言われます。英語が話せるから普通に溶け込んでいるんですけど、中身は日本人、徳島人だから、仕草や言葉遣いがアメリカの人たちとちょっと違うんですよね。それが自分の強みになればいいなと思っています。たとえば、“ピクサーが日本を題材にした映画を作る”ということになったとして、“だったら音楽はアンジェラだよね”と結びつくような音楽家になりたいんですよね」 ミュージカルの開幕に先がけ、4月にアルバム「アンジェラ・アキsings『この世界の片隅に』」を発表。彼女のボーカルアルバムは、じつに12年ぶりとなる。 「ここ数年、シンガー・ソングライターがミュージカル音楽を担当して、その曲を自分でも歌うことが増えているんです。『この世界の片隅に』の音楽を作らせてもらって、すごくいいものが出来たという自信もあるし、舞台を見る前後に聴いてもらえるアルバムを作りたいなと思ったんですよね。ただこの10数年、歌のトレーニングはほとんどやっていないんですよ。デモ音源のために歌うことはあっても、人前で歌ったり、レコーディングもやってなくて。でも、いざ歌ってみたら10年経っている感じはしなかったし、すごく楽しかったですね」