エミー賞史上最多18冠『SHOUGUN 将軍』真田広之が20代からみせていた「本物へのこだわり」
真田広之が主演・プロデューサーを務めた米有料テレビFX制作のドラマシリーズ『SHOGUN 将軍』(全10話)が9月15日(現地時間)、ロサンゼルスで開催された米テレビ界のアカデミー賞といわれる第76回エミー賞で、史上最多の18冠の快挙を達成した。 【写真】浮き名を流したのは葉月里緒奈だけじゃなく…米エミー賞受賞の真田広之が「稀代のモテ男」姿 真田は日本人初の主演男優賞を受賞。さらには作品賞、アンナ・サワイの主演女優賞、監督賞などを獲得した。 ◆制作費100億円というハリウッドスケール FXにとってこれまで最も製作費が高いシリーズで、100億円以上ともいわれるハリウッドならではの巨額の製作費を投入。関ヶ原の戦いの前夜を描く本格的な戦国時代劇『SHOGUN 将軍』は、真田が徳川家康をモデルにした吉井虎永を圧倒的な存在感で重厚に演じている。 さらにはプロデューサーとして「オーセンティック(本物)」にこだわり、大半は日本人俳優を起用。日本から時代劇の経験豊富なスタッフを呼び、史実や武士の所作、セリフなどの細部にこだわり、70%が日本語のセリフ(米国では英語字幕)という、日本人が見てもクオリティの高い壮大なスケールの時代劇となった。 当初はリミテッド(1シーズン完結)の予定だったが、2月の1、2話配信開始6日間で900万ビューを記録するなど大ヒットしたことで、5月にはシーズン2、3の制作が発表された。真田が引き続き主演・プロデューサーを務め、三浦按針役のコズモ・ジャービスも続投するという。 真田は’03年にトム・クルーズ出演のハリウッド映画『ラスト サムライ』に出演したのをきっかけに、’05年に拠点をハリウッドに移す。ジャッキー・チェン主演の『ラッシュアワー3』(’07年)、キアヌ・リーヴス主演の『47RONIN』(’13年)、ジョニー・デップ主演『MINAMATA‐ミナマタ‐』(’20年)、ブラッド・ピット主演の『ブレット・トレイン』(’22年)などハリウッドでキャリアを重ねた。20年の集大成として『SHOGUN 将軍』に結実したといえそうだ。 古くは「フジヤマ、ゲイシャ」といわれた、奇妙な日本描写は改善されてはきたが、それを払拭することを考え続けてきた真田のストイックなまでの姿勢や本物へのこだわりは、’70年代後半から’80年代にアクションスターとして活躍していたころに培われたといえそうだ。 5歳で劇団ひまわりに入団し子役で活躍後、中学入学の1973年に千葉真一が主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)に入団。千葉主演の『直撃!地獄拳』(1974年)に出演したのち、学業に専念しいったん芸能活動を休止。1978年、『柳生一族の陰謀』のオーデイションに合格して、千葉の命名で真田広之として芸能活動を本格的に再開する。 1980年、映画初主演の『忍者武芸帖 百地三太夫』で桃山城天守からの飛び降りシーン、『吼えろ鉄拳』(1981年)では福井県東尋坊の岩場やヘリコプターから海に飛び降りるスタントを吹き替えなしでやってのけるなどアクションスターとして人気が出た。当時はブロマイドの売り上げで田原俊彦と1、2位を争うアイドル的人気があった。 ◆「いつも怖いです」と語った真意 そうしたなか1981年7月、映画『吼えろ鉄拳』が公開される直前に東京・六本木のレストランでインタビューしたことがあった。真田は当時20歳。 スタントマンなしの激しいアクションシーンについて 「空手の格闘シーンとか、走っている2階建てのバスの上でのアクションとか。ヘリから25m下の海に飛び降りるシーンもあります」 と明かし、“本物へのこだわり”を感じさせた。 恐怖感はないのかと聞くと 「いつも怖いんですよ。だから慎重になります。ここはオーケー、あそこに落ちれば大丈夫と、やる前に全部整理して、安全性を確かめた上で大胆になれるんです。だから危険なシーンではケガはしません。軽いシーンでふと気が緩むとケガをしたりしますけど」 とストイックなまでのこだわりとプロ意識を見せていたのが印象的だった。 翌1982年には『道頓堀川』で松坂慶子と共演、『里見八犬伝』(1983年)では薬師丸ひろ子とのラブシーンが話題を呼んだ。『麻雀放浪記』(1984年)など数多くの映画やドラマで活躍し、ハリウッドへと飛び立っていった。 20代のアクションスター時代から培っていたスタントや演技の「本物」へのこだわり、真摯なアプローチの積み重ねがハリウッドでの活躍の道を開き、今回の歴史的な快挙につながったと言えそうだ。真田のさらなる飛躍を期待したい――。 文:阪本良(ライター、元『東京スポーツ新聞社』文化社会部部長)
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