田島翔のフッチボール日記 Vol.1
サッカーと麻雀の二刀流プロの肩書を持つ田島翔という男はいったい何者なのか――。1993年にJリーグが開幕され、日本で空前のサッカーブームが巻き起こった時代を生きてきた彼は、高校卒業後、プロサッカー選手に夢を抱き、シンガポールへ渡る。その後もいくつかの海外でプレーを経験したのち、日本ではJ2のロアッソ熊本などに所属するも、再び海外サッカーの世界でキャリアを積んできた。これから新たな道を切り拓くサッカー人生とは――。自身の半生を振り返りながら、田島翔が“フッチボール日記”を綴る。
12月20日
こんにちは! プロサッカー選手の田島翔(たじま・しょう)です。 といっても、ほとんどの皆さんは、僕のことを知らないと思います。2012年にはJ2のロアッソ熊本に所属しましたが、それ以外はずっと海外のチームでプレーしてきました。これまでにシンガポール、クロアチア、スぺイン、ニュージーランド、アメリカ、韓国、サンマリノ共和国のリーグでボールを蹴り、今度は小学生の頃からの夢だったブラジルに渡ることに――その挑戦日記を、VICTORYで連載できることになったのです。ブラジルの公用語、ポルトガル語ではサッカーのことをフットボールではなく、フッ“チ”ボールと言います。それで、フッチボール日記です。 ということで、まずは自己紹介をさせて下さい。 僕は、北海道北斗市出身の40歳。もともとは野球少年でしたが、1993年のJリーグ開幕の影響でサッカーを始めました。当時、テレビなどのメディアはサッカーの話題を毎日のように取り上げ、まさにブームといった感じでした。 今でもそうですが、憧れは三浦知良選手。Jリーグを象徴するクラブ、ヴェルディ川崎の中心にいたのが、三浦知良選手でした。いつしか、僕も三浦知良選手のようにブラジルでプロになりたいと思うようになり、必死で個人技を磨き、ポルトガル語の勉強にも取り組みました。 気持ちとしては「第2のカズを目指して!」といったところでしょうか。しかし、学生時代には目立った成績を残せず(恥ずかしながら、函館選抜にすら選ばれたことがありません)、このままではダメだと考え、シンガポールにサッカー留学することを決心しました。あれ、ブラジルじゃないの、と思われたかもしれませんが、僕の家にはブラジルに行かせてもらえるほどの経済的余裕はなかったので、比較的費用が安い東南アジアを選んだわけです。