若き日のオノ・ヨーコがダリに口ひげをおねだり! ダリが取った行動とは?
サルバドール・ダリとオノ・ヨーコが出会ったのは、オノがジョン・レノンと新婚旅行でヨーロッパを訪れていた1969年のことだった。彼らはアムステルダムのヒルトンホテルでかの有名な「平和のためのベッド・イン」を行い、パリに移動。60年代半ばにビートルズのツアーに同行した写真家、ロバート・ウィテカーの紹介で、ホテル・ムーリスでダリと昼食を共にしたとアートネットは伝えている。 彼らがその時何を話したのかは全く分からないが、ダリが後にビートルズの写真を壁に飾っていたことを考えると、強い印象を残したようだ。 レノンは1980年に暗殺されるが、その後もダリとオノの交流は続いた。しかしそれはかなり奇妙な展開を見せた。1960年代からダリのミューズを務めたフランスを代表する歌手兼女優のアマンダ・リアによると、オノはダリのトレードマークである口ひげを送るよう求めたという。
しかもオノは謝礼を払うと申し出ており、それでもダリは躊躇した。彼の全くの妄想だが、オノが魔女であることを心配し、オカルト的な目的に使うのではないかと考えたのだ。 この顛末についてリアは、2012年にフランスの雑誌『VSD』のインタビューで、「彼は彼女に口ひげを送りたがりませんでした。それで、ダリは私を庭に行かせて乾いた草の葉を持ってこさせ、それをきれいな箱に入れて送りました」と明かした。 オノが支払った費用は1万ドル(現在の為替で143万円)だったという。リアは 「彼は生涯、お金が好きでした」と振り返る。実際ダリは、今も現役のチュッパチャップスのロゴをはじめ、イベリア航空、日産自動車、リグレーズ、アルカセルツァー、ジョンソンペイントなど当時は様々な広告を手掛けていた。 オノはこの件についてコメントしていない。ダリがなぜそのような妄想をしたのかについては、オノの1955年のパフォーマンス作品《Lighting Piece》があったからかもしれない。暗い室内でロウソクに火を灯し、燃えるのを眺めるという内容なのだが、それは彼女が子どもの頃から楽しんでいたことで、安らぎをもたらす行為だったのだ。
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