平和の誓い新たに「戦後71年大阪戦没者追悼式」
戦没者の遺族ら千人が出席
平和の誓い新たに「戦後71年大阪戦没者追悼式」
第2次世界大戦で亡くなった大阪府内の戦争犠牲者を追悼する戦後71年大阪戦没者追悼式が26日、大阪市天王寺区の大阪国際交流センターで開かれた。戦没者の遺族ら千人が出席し、戦没者を慰霊するとともに、平和の誓いを新たにした。 大阪大空襲の記憶を記録画集に「生死をかけたわかれ道」
遺族ら千人が戦争犠牲者を追悼
追悼の対象となる戦没者は、12万7500人。内訳は旧軍人・軍属・準軍属戦没者10万5300人をはじめ、外地死没者9200人、戦災死没者1万3000人。追悼式には府内戦没者遺族代表600人の他、来賓や一般府民など計千人が参加した。 松井一郎府知事が式辞で「戦後71年を迎えた今、私たちが享受している平和と繁栄は戦没者の犠牲の上にあることを忘れてはならない」とあいさつ。「再び戦争の惨禍が繰り返されることのないように、その教訓を次の世代に語り継ぎ、世界の恒久平和の確立に努めることが私たちの重大な責務と確信している」と、平和への決意を述べた。 遺族を代表して岡倉三郎大阪府遺族連合会会長が「戦後生まれの人たちが8割を超えるこんにち、先の大戦で学んだ貴重な教訓を風化させることなく、平和の大切さ、いのちの尊さを末永く伝えていくことが私たちの使命」と、教訓を受け継ぐ重要性を強調した。 さらに花谷昌男大阪市遺族会会長が「戦争ほど過酷なものはなく、戦禍ほど悲惨なものはない。失われた富や財産はいつの日か戻るが、尊いいのちは永遠に取り戻すことができない」と話した上で、「二度と悲惨な戦争が起こることのないよう、遺族会は世界の恒久平和実現のために一致団結して活動していきたい」と、不戦の思いを強くにじませた。
大阪大空襲の悲惨な体験を報告
続いて、大阪戦災傷害者・遺族の会会長で戦争体験の語り部活動に取り組む伊賀孝子さんが、大阪大空襲の体験を報告した。 1945年(昭和20)3月14日未明の大阪大空襲で、伊賀さんは家族4人と防空ごうから出た瞬間、焼夷弾の直撃を受けた。焼夷弾を浴びて母親は即死状態で発見され、弟も大やけどに苦しみながら、2日後に死亡。自身と父親もやけどを負った。 焼け跡での火葬で、悲しい別れ。「他の家族と同様、私たちも泣きながら母と弟の遺体を焼け跡で火葬しました。生き残った父と私には、やけどの痕と深い心の傷だけが残りました」と語った。伊賀さんは名もなき大阪空襲死没者を追悼するため、死没者名簿の収集を今も続けている。この後、献花や平和の合唱などが行われた。