じつは日本人は「神さま」の数を「柱」と数えていた!…日本社会を一変させた「3つの黒船」
日本文化はハイコンテキストである。 一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……この国の〈深い魅力〉を解読する! 【写真】じつは日本には、「何度も黒船が来た」といえる「納得のワケ」 *本記事は松岡正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。
三つの黒船「稲」「鉄」「漢字」が日本にもたらしたもの
稲は日本人の食生活を大きく変えました。水田による稲作は食生活だけではなく、五穀豊饒を願うという「祈りと祝いの一年」のサイクルをもたらします。その後の日本の多くの行事や祭りは、この稲とお米にまつわる「祈りと祝いの一年」が基本の基本になったのです。「祈りと祝いの一年」が日本人にどんなライフサイクルをもたらしたのかについては、のちにあらためて『日本文化の核心』第3講「イノリとミノリ」で紹介します。 稲作の広がりが日本の風景を変えたことも見逃せません。明治10年代に日本各地を旅行したイザベラ・バードの『日本紀行』(講談社学術文庫)には、日本の田園風景の美しさが何度も強調されています。 青銅器につづいてやってきた「鉄」は、日本人に頑丈な農耕器具と武器をもたらします。青銅器は銅鐸や銅鉾などの祭祀用に活用されたのですが、鉄にはきわめて実用的な力があります。中国では古来「塩鉄論」という考え方があって、塩と鉄が国をつくるとみなされました。 日本でも昭和の戦後期、八幡製鉄と富士製鉄が合併して新日鉄(現・日本製鉄)になったあたりまで「鉄は国家なり」と謳われていたものです。この合併のとき、新日鉄が日立製作所を抜いて売上日本一のメーカーになった。この地位は1980年代にトヨタに抜かれるまで変わらなかったのです。 古代の鉄は「たたら」(蹈鞴)による製鉄です。砂鉄や鉄鉱石を粘土でかためた炉に入れて、これを木炭の燃焼熱によって還元するのが「たたら」製鉄です。火力を高温にするためにフイゴ(鞴)で次から次へと風をおくるのですが、それを男たちが汗だくになって踏みつづける。そのどろどろとした溶鉱の火は山を裾野のほうに流れ、その異様な火のうねりの光景がヤマタノオロチの姿などに譬えられました。出雲や安来(ともに島根県)のあたりには「たたらの一族」がいたのです。 宮崎駿の『もののけ姫』にそうした「たたら」を守る奇妙な装束の男たちが描かれています。 三つ目の「漢字」は何をもたらしたのか。話し言葉しかもっていなかった日本人に、記録ができ、いつも読むことができるリテラシーをもたらしました。日本は長かった無文字社会を脱したのです。 ただし、ここが重要なところですが、漢字を知った日本人は中国語を使うようになったわけではありません。漢字を中国語としてではなく「日本語」として使うようになった。だからこそ「仮名」も発明できた。