野球に夢中も…巨人戦は「見るのが苦痛」 父親への反発、広島名手が抱いた“嫌悪感”
「左利きなので気付いたら…」憧れ田口&イチローと同じ外野手に
鳥羽小のスポーツ少年団の軟式野球チームに入った。「もちろん、最初は控えでした。背番号が14だったのは覚えています」。常に1位だった水泳とは立場も変わったが「全然、しんどくなかったです。むちゃくちゃ、楽しいし、みんなで一つのものに向かっていくというのが憧れだったんでね」。まさに野球に夢中だった。「小学校4年生くらいからちょろちょろ試合に出させてもらって、5年生くらいからレギュラー。左利きなので気付いたら外野でしたね」。 テレビでプロ野球中継を見るのは好きではなかった。「親からは見るようにって言われたけど、見るくらいだったら練習したいって感じ。当時は巨人戦くらいしかやっていなかったけど、見るのが苦痛で巨人が嫌いになったというか……。誰がいたかも覚えていない。いつだったか、ショートフライが上がって“落とせ!”って心の中で思ったら本当に落としたことくらいしか覚えがないです。まぁ、野球中継よりもバラエティ番組とかを見たい年頃だったんでね」。 そんな中、オリックスの田口とイチローのファンになった。「僕が小学6年の時にオリックスが優勝したんです。オリックスファンというのではなくて純粋に2人が好きでした。自分も外野手だったから憧れました。僕の名前も“ソウイチロー”だし、なおさら親近感も覚えて」。イチローの愛知県の住所を調べてファンレターも書いた。「神戸の寮に送るとか、球団に送るとかのやり方を全然知らないから。愛知県の方にね」。だが、書いただけで送らなかったという。 「封筒に切手まで貼って、あとは出すだけだったんですが、これは本当に届くのだろうかとか、恥ずかしくなってきたというのも強くなって終わりました。ビビりな性格なんでね。何を書いたかは、覚えていません。たぶん“大好きです、憧れています”みたいなことだったと思いますが……」。田口&イチロー効果もあってか“ソウイチロー”は外野手として成長していった。「小6の時は全国大会でベスト8でした」。野球でも上を目指したい気持ちが芽生えていた。
山口真司 / Shinji Yamaguchi