清原和博 巨人を見返すために──圧倒的なまでの「18歳の才気」
巨人への入団を熱望したが、その夢は叶わず、傷心の末に西武に入団。「所沢ってどこにあるのか知らんかった」という18歳は巨人を見返したいという思いでプロ野球人生をスタートさせた。高卒1年目ながら四番を任され、31本塁打をマーク。その舞台裏には、監督を務めていた森祗晶の信念と眼力があった。当時最前線で取材にあたっていた筆者が、怪物スラッガーの覚醒前夜の秘話をいま明かす。 文=佐野慎輔(尚美学園大学教授) 写真=BBM 待ちかねたように長嶋茂雄が声をかけた。「さあ清原くん、やるぞ」。 1986年2月、高知・桂浜を望む高台に建つ旅館、桂松閣。什器がすべて片付けられた一室で長嶋と清原和博が向きあっていた。 このシーズンから西武ライオンズの指揮を執る森祗晶が、春季キャンプの宿舎に報知新聞客員の長嶋を招いた。前年のドラフトで引き当てた“掌中の珠”を見てもらうのだ。 目の前で、バットを振る清原。長嶋は目を凝らす。緊迫した時間が流れ、やがて自らバットを握った。 「いいか、こうだ、こうやるんだ」 「ダッ、ガッ、バッ。こうだ」 スタンスを決め、バットを掲げて腰を振る。「そう、そう、そう」。 具体的な言葉はない。身振り手振り。そして擬音が混じる。 報知新聞の担当記者として立ち合いが許された私は困惑していた。この心と体の会話、指導を記事にしなければならない。終わった後、清原に聞いた・・・
本文:2,770文字
購入後に全文お読みいただけます。
すでに購入済みの方はログインしてください。
週刊ベースボール