「50歳までは不妊治療中心だったけど」ハイヒール・リンゴ(62)大学院進学と今の夢「目的があるほうが人生は絶対楽しい」
「負け惜しみみたいに聞こえるかもしれないけど…やっぱり不妊治療を経験したからこそ、わかることがある」と語るお笑いコンビ・ハイヒールのリンゴさん。不妊治療を卒業し、ひと回り器が大きくなったリンゴさんが50歳で選んだのは、大学院進学という新たな道でした。(全4回中の3回) 【写真】「ホントに還暦越え!?」 若い頃から変わらないスタイルを維持するハイヒール・リンゴさん「ミニスカの足がきれい」(全12枚)
■50代で大学院に進学「コメンテーターには経済の知識が必要」 ── 2015年に大阪学院大学に社会人入学されています。50代で学び直そうと思ったきっかけは何でしたか?
リンゴさん:関西のテレビ番組にレギュラー出演していて、いろんなニュースについてコメントを求められるのですが、経済の仕組みについてきちんと理解できていない自覚があって。大学は経営学部だったんですけど、新聞を読んでも、“どうして経済ってこういう動きになるのかな”って疑問を感じることがあり、基礎からきちんと勉強し直したいとずっと思っていました。 たとえば、有識者の話を聞くとしても、知識がないままで聞くのと、知っていてわからないことを聞き直すのでは全然、言葉の伝わり方が違ってくる。それがもう一度学び直すことを決めたきっかけですね。おそらく子どもが生まれていたら通うことはなかったと思います。そうではなかったおかげで、大学院に通えたっていうのはあるかもしれません。
── 勉強の時間はどのようにねん出されましたか? リンゴさん:勉強の時間をまとめてとるのはなかなか難しいので、すきま時間を利用して、劇場の出番の合間に本を読んだりしていましたね。大学院では、経済評論家の國定浩一先生のもとで学んだのですが、この先生の講義がおもしろくて。1995年にアメリカで起きた大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件に関わった方なんです。大和銀行側が裁判に負けて史上最高額といわれる3億4千万ドル(当時の為替レートで約350億円)を支払い命令がくだったのですが、当時大和銀行の専務取締役だった國定先生が最終処理を担当したときの武勇伝を赤裸々に語ってくださったりして。國定先生の人生すべてに対して前向きな考え方が好きで、学ぶことがとにかく楽しかったんです。