町田、電撃引退の真相
一方で、密かに引退をにおわせる布石も打ってきた。今季のフリーの曲は『第九交響曲』。年末の象徴的な音楽の世界に浸りながら最高のプログラムを練り上げ、シーズン開幕当初からファンに向けて「今年の『第九』は、全日本選手権に見に来てください」と発信していたという。 全日本開幕前日、「今シーズンのプログラムはこの全日本のために作ってきたと言っても過言ではない。この全日本は僕の競技人生において最も特別な全日本になるかと思う。人事を尽くしたので晴れやかな気持ちでこの舞台に立ちたい」と言葉を噛みしめながら話す姿も印象的だった。 ただ、引退の意志は誰にも悟られていなかった。突然の引退宣言には小塚も驚きを隠さず、「最後に爆弾を投下して去っていくのも樹らしい」と言って報道陣の笑いを誘うと、「こういう会見でも、いつも“町田語録”で僕たちを笑顔にさせてくれた。僕にも誰にも思いつかない発想を持った唯一無二の選手」としんみりと語った。 町田の引退による出場辞退で代わりに世界選手権に出ることになった無良は「町田樹選手は小さい頃から一緒にやってきた良きライバルで、大きな存在。引退ということで、せっかくいただいたチャンス。全日本のようなふがいないことのないように、心を決めて練習したい」と力を込める。 小林強化部長によると、町田はリンク上での引退表明の後、バックステージで無良に「良いライバルでいてくれてありがとう。崇人がいたから僕もここまで頑張れた。いつかこいつを抜かしてやるぞと思って頑張ったんだ」と言い、2人で泣いていたという。 人に悟られぬよう、競技と両立させながら一分の隙もない準備をし、劇的に引退を表明した町田。今後は来年4月1日から早大大学院スポーツ科学研究科修士課程に入り、入学後は博士課程進学を視野に入れ、将来的には研究者を目指す。 研究テーマとして挙げたのは「フィギュアスケートのスポーツマネージメント領域での考察」。“氷上の哲学者”は、彼らしいサプライズで周囲を驚かせるという幕引きを演じながらフィギュアスケートシーンを去って行った。 (文責・矢内由美子/スポーツライター)