戦時に毒ガスを研究「ウサギの島」まさかの実態とは? 戦時中の痕跡があちこちに残っている
一番古いのは「49 10/13JFIPJP」と書かれたものだった。 1949年は太平洋戦争が終わり、毒ガスが投棄された2年後だ。処理はかなり荒かったらしく、かなり危険地域だっただろう。 1950年から朝鮮戦争のため米軍が接収したそうなので、下見に来た米兵が落書きしたのかもしれない。 1964~1976年くらいの日本人の落書きが多く見られた。バカは昔からいるのである。 落書きは他の施設にもたくさんあった。
「世界が平和になりますように!!」 「大阪から来たよ!」 「有田さん ゆりちゃん お父さん」 無数のハートマーク(ハートの中にイニシャル)や実名が書かれた相合い傘があった。 こういう施設の落書きを見ていつも思うのだが、落書きで恋愛していることを書いてなんになると思ってるんだろう? 末永く恥をさらしているだけに思えるけどなあ。皆さんは絶対に落書きはしないでね。 ■ゲームの世界に出てきそうな雰囲気の毒ガス貯蔵庫跡
海沿いの道をてくてくと歩いていく。 始発で来たこともあり、人はほとんどいない。あいかわらずウサギがヒョコヒョコと集まってきてかわいい。 そして見えてきたのが、おそらくこの島でもっとも大きい施設である、長浦毒ガス貯蔵庫跡だ。島内最大の毒ガスの貯蔵庫だったそうだ。 この建物はものすごくかっこいい。頑丈なコンクリートで作られているが、老朽化で一部は剝げ落ち、苔やカビで黒く汚れている。ツタが建物の表面をまるで血管のように走っている。
ゲームの「ワンダと巨像」とか「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」とかが好きな人にはたまらない雰囲気だ。施設を眺めていると思わず、ツタに手をかけて、グイグイ登って行きたくなる衝動にかられた。 ■要塞砲台や兵器の制作に使われた施設 海辺を超えていくと、さらにたくさんの施設が見えてきた。 やはり堅牢な施設なのだが、レンガや石垣で作られている。長浦毒ガス貯蔵庫跡と比べると古い建造物な気がした。 これらの施設は、第2次世界大戦前の、明治時代に作られた施設らしい。艦隊の攻撃にそなえ、沿岸要塞砲台を設置していたのだ。