「プレーヤーズ・マネジャー」ドジャース・ロバーツ監督、類いまれな「人間力」でV導く
<ワールドシリーズ:ヤンキース6-7ドジャース>◇第5戦◇30日(日本時間31日)◇ヤンキースタジアム 【写真】世界一を決め、トロフィーを掲げるドジャースナイン ステージ上のドジャース・デーブ・ロバーツ監督(52)は、世界中に宣言するかのように力強く言った。「我々がチャンピオンだ」。最大5点のビハインドを跳ね返し、ヤ軍を振り切った。20年世界一の際は、コロナ禍で表彰式もシャンパンファイトもなく、中立地アーリントンで静かに解散した。満員のファンの前で頂点を極めた今回。敵地ニューヨークの夜空へ向け、誇らしげに高々とトロフィーを掲げた。 大谷、山本ら巨大補強を終えて臨んだ就任9年目。負けられない重圧の中、周囲との対話を欠かさず、チーム全体が同じ方向を向くように「かじ取り」を続けた。立場は名門球団の現場トップとはいえ、現実はオーナーや編成面を束ねるフロント陣と選手らとの間に挟まれる「中間管理職」。近年、フロント主導の戦術が目立つ中、抜群のバランス感覚で統率し、長旅を乗り切った。自らを「プレーヤーズ・マネジャー(選手重視の監督)」と公言。ダスティ・ベーカー(ジャイアンツなど)らを尊敬する指導者として挙げ、フロント、選手を問わず、コミュニケーション重視の姿勢を貫いてきた。 実直な性格通り、大谷にも遠慮なく、自らの考えを伝えてきた。不振の際には「翔平らしく」と助言し、ミスを指摘することも珍しくなかった。戦略的には、劣勢の展開となれば、無理な起用を避け、主力の休養を優先。いわゆる「捨て試合」をいとわず、体調重視に心を砕く采配は、過去数年からの変化だった。すべては世界一からの逆算に基づいていた。決して手練手管の策士ではない。類いまれな「人間力」で、ロバーツ監督は名将の領域に近づいてきた。【四竈衛】 ◆ロサンゼルス・ドジャース 1890年にナ・リーグに参加。当初はニューヨークのブルックリンに本拠地を置き、47年に黒人初大リーガーのジャッキー・ロビンソンと契約。55年にワールドシリーズ初制覇。58年にロサンゼルス移転。日本人選手は95年に野茂英雄が初めて在籍した。リーグ優勝25度、ワールドシリーズ優勝8度。チーム名は、市民が路面電車を避けて歩いたことから「よける人」の意味。ロバーツ監督は沖縄出身で母親は日本人。