元巨人、オリックスの東野は内海の友情を支えにトライアウト受験
当初は、トライアウト参加も迷っていた。クビになって真っ先に相談の電話を入れたのが、巨人時代から公私共に兄のように慕う内海哲也(32)だった。 「オフクロや親父より先に電話を入れたんです。結果的に留守電になっていて伝えるのは、10番目くらいになったんですが(笑)」 内海は、東野に「おまえは、まだやれる。まだ若いよ」と引退を引き止め、トライアウト受験を薦めたという。身重の妻も「あなたの好きなことをすればいい」と現役続行をバックアップ。4歳になる長男は「パパの姿を見たい」と、この日、神戸から静岡までかけつけて、ネット裏から応援していた。 「これが最後になるかもしれないので、気持ちを出していかなくてならないと思った。力強さにこだわったけれど、投げっぷりで言えばよくできたと思う。直前までフェニックスリーズに出してもらっていたので、中継ぎからゲームに入る感覚で投げることができた。四死球があったので自己採点は60点ですが」 深江への四球はカウント1-2からフォークを3球続けたもの。現役時代になかった組み立てだが「新しい自分を見せてもみたかった」という。 2004年に甲子園出場経験もなかった茨城の鉾田第一高校からドラフト7位で背番号「93」で巨人に入った。5年目の2009年からローテーションに抜擢され、防御率、3.17、8勝8敗でチームの日本一に貢献。翌年には13勝8敗の成績を残し、2011年には開幕投手に抜擢されたが、2012年には絶不調に陥って0勝に終わり、そのオフ、東野、山本和作―香月良太、阿南徹の2対2トレードでオリックスへ。結局、制球難に苦しみ2年で1勝しかできなかった。 「やりきったという気持ちはないが、NPB以外なら野球界を去る気持ちでいます」 天国と地獄を味わった、かつてのエースは、どこか晴れ晴れしい顔をしていた。集中力が保てるならば、中継ぎから、うまくいけば先発でも十分に使えると思う。 投手陣強化をこのオフの最大テーマとしている球団が、東野の再起の手を差し伸べるかどうか。