『さよならマエストロ』西島秀俊と芦田愛菜に訪れた和解の時 喪失と再生重ねる作劇の妙
ふたたび鳴り始めた父と娘の協奏曲
「マエストロが晴見に来て俺たちと出会ってくれたこと、それも運命なんじゃないかって思うんだよね」 ベートーヴェンの「運命」で幕を開けた本作はクライマックスに差しかかった。大きな円を描くようにそれまでの全てが有機的につながり、一つのシンフォニーを奏でる。ドイツで生まれたメロディに地方都市の市民オーケストラが音を重ねて、新たな生命を吹き込むように。長い時間を経て響と俊平は互いを許し合い、抱擁を交わした。鳴りやんでいた父と娘のハーモニーがふたたび響きはじめた。 父と娘の葛藤を繊細なタッチで描写する『さよならマエストロ』は、ロジカルな筋立て以上に、音楽に身をゆだねるように自然に湧き出す感情を味わうことでその魅力が鮮明になる。長台詞に乗せて心の想いを響かせた芦田愛菜と、無防備な自身をさらけ出した西島秀俊。親子の情愛という普遍的な感情を正面から表現できたのは、演じる役者への信頼あってこそだろう。 シュナイダーの手紙は俊平を思いやる言葉であふれていた。シュナイダーにとって俊平は失われた音楽への情熱を灯してくれた存在であり、俊平が戻ってくる日のためにシュナイダーは帰る場所を用意したのではないだろうか。「おかえり」の言葉が胸に沁みる『さよならマエストロ』は次週いよいよ最終楽章を迎える。
石河コウヘイ