「南海キャンディーズ」山里亮太が一生忘れない恩とは
本番が終わり、打ち上げに行かせてもらいました。僕は大学生の頃からメチャメチャお酒を飲むんですけど、同じようにたくさんお酒を飲む「笑い飯」の哲夫さんがその飲みっぷりを気に入ってくださり、一緒に飲もうと。その日はとにかく飲みに飲みました。哲夫さんによると、その日、一番面白かったのは僕が道路の排水溝に吐いていたサマだったらしいですけど(笑)、ま、そんな中で「千鳥」さんや「笑い飯」さんと急速に打ち解けていきまして、中でも、特に意気投合したのが大悟さんだったんです。 それまでの流れがウソのように、ほぼ毎日一緒でした。大悟さんの方が先に「baseよしもと」のオーディションに受かって劇場レギュラーになっていたので、出番が終わるのを待って合流して飲みに行くのがいつもの流れでした。日ごろから大悟さんが全部ごちそうしてくださるんですけど、僕らが小さいオーディションとかでも受かる度に「お祝いや!!」と言って、お寿司屋さんに連れて行ってくれたり。 そんな時は僕に気を使わせないように「大丈夫や、臨時収入があったからな」って言うんですけど、ま、大悟さんが「臨時収入があった」って言う時は、たいてい、消費者金融の帰りなんですけどね(笑)。でも、僕の仕事にちょっとでもうれしいことがあった時には、なぜか運よく大悟さんに“臨時収入”があって、いつも、必ずそうしてくれました。 その後、2004年に「南海キャンディーズ」として「M-1グランプリ」で決勝に行くことができ、そこから一気にお仕事をいただけるようになりました。また、ありがたいことにお笑いブームもあって、名だたる番組にも呼んでいただけるようになったんです。 そして、翌年2005年も「M-1」で決勝に行くことができました。ただ、正直、その年は勢いというか、話題性先行で残れたのでは…というのは、自分でもうっすら思っています。ネタのクオリティーも04年よりはるかに低かったし。そして、決勝でこれでもかとスベッて、圧倒的な最下位になりました。前年とは逆に、あんなに大きな場でこれでもかと「面白くない」というレッテルを貼られた。そう考えて、どんどん心が病んでいったんです。