ルーツ辿る日系人を手助け 3、4世中心に来館後絶たず=神戸市立海外移住と文化の交流センター
【神戸市発=大浦智子】兵庫県の神戸市立海外移住と文化の交流センター(旧国立移民収容所)は今、日本在住の日系人や外国から訪れる日系人のルーツ探しのスポットになっている。以前からその動きは見られたが、コロナ禍が明け、特にブラジル人と日本人双方への短期滞在ビザが免除された昨年10月以降、昨今の円安の影響も受けて、毎月ルーツ探し目的に同センター内にある(財)日伯協会(池田育嗣理事長)の扉を叩く日系人は後を絶たない。 4月には個人が12人(内2人はパラグアイとメキシコ、他はブラジルから)とブラジルからの10人近いグループ、5月前半だけで10人の日系ブラジル人(日本在住6人、海外から4人)が同協会に自らの祖父母や曾祖父母の足跡をたずねて訪れた。 5月16日にはサンパウロ出身で現在は香港に仕事で駐在中のオタビオ・パラミンさん(47、3世)が、同協会の事務所に立ち寄った。パラミンさんは休暇で香港から日本に訪れ、神戸港の歴史を調べていたところ同センターの情報を見つけた。センターに到着すると、入り口に移住者の記録データを事務所で調べられる案内があったため、調査を依頼した。
パラミンさんは母方が日系人、父方がイタリア系。イタリアでもルーツを調べたことがある。母方の祖父家族は岡山県出身で1924年に阿波丸で、祖母家族は北海道出身で1932年にあらびあ丸で神戸港からサントス港に到着した。両家の家族構成とサンパウロの移民収容所に到着した日やそこから列車で移動して下車した駅と入植した農場名までが10分ほどで分かった。 「移住者の記録はサンパウロの日本移民史料館のデータベースとも共有していると思うが、これまでサンパウロでは調べたことがなかった。調査結果は素晴らしく、ここに来たかいがあった」と笑顔を見せた。 現在は専門調査員の楠正暢さんとボランティアの岸本義和さんが、依頼主の両親や祖父母の名前からその出身地と神戸港の出港とサントスに到着した年月日や船名を割り出し、旧移民収容所で出港前に撮影した同船者の集合写真と船の写真とデータまで印刷してセットで提供する。 「日本移民史料館のサイトから調べることもできるが、漢字の入力が難しいことやアルファベットが間違って登録されているなどで、日本語が分からない世代では自分で調べるのは難しく、噂を聞いてこちらに来訪する方もいる」と岸本さんは話す。 同センターでのルーツ探しは予約制ではなく、口コミで訪れたり、観光で来たついでに思い立って調べる人が大半だ。同協会の井澤誠一事務局長は、「センターは建物自体に歴史的価値がある。この施設で過ごした後、海外に渡った移民の人の気持ちに寄り添うことを大切にしており、来館した子孫たちが自らのルーツを知って喜ぶ姿を見るとやりがいを感じる」とほほ笑んだ。