留学した米高校のロゴはキノコ雲…女子大学生がドキュメンタリー制作で追い続ける「原爆に対する答え」
ドキュメンタリー制作後、古賀さんは再びリッチランドへ。「日米の原爆への認識の違いを深く調べたい」。そんな思いからだった。 「現地の人の話で心に残ったのは、『僕の弟が第二次世界大戦中に日本に行く準備をしていたが、原爆が落とされて戦争が終わったので助かった』という声。日本は原爆を落とされて被爆者の苦しみがある一方、アメリカのリッチランドには『自分たちが頑張ったおかげでアメリカが戦争に勝った』という正義がある」(古賀さん) 一方、核施設の影響による住民の健康被害など、リッチランドで今も核に苦しむ人の存在も知った。大学卒業後はジャーナリストの道を目指し、原爆に対する答えを追い続けている。 そんな古賀さんに「継承」と「これからの核」について考えを尋ねた。 古賀さんは「後東さんや被爆者の話を聞いたことで、私の中に培われた倫理観がある。その視点でアメリカの被ばく者に今後どう寄り添っていくか。ジャーナリストは何かを伝える仕事だが、常に誰のために伝えるのかを考えられるジャーナリストになりたい」と答えた。
山田進太郎D&I財団 COOの石倉秀明氏は「原爆体験の継承」と「日本が果たすべき役割」について次のように述べた。 「僕は小学生の頃に『はだしのゲン』や『火垂るの墓』を見て『本当に怖い』と感じた。“生々しいが故に心に残るリアリティ”や共通認識を体験談や作品などを通して日本の中でどう受け継ぎ、そしてアニメのように日本が得意な分野も使って、世界にどう伝えるかを考えるべきだ」 「一方で今、核を持つ国がたくさんあり、一気にはなくせないという現実があるとすると、核を持つ国に誤った判断をさせないために日本に何ができるのか、メッセージの発信の仕方など、戦略的な動きも必要なのではないか。また、被爆国である日本と、かつて核を使ったアメリカだからこそわかる、この判断が良くないことで、それを仕組みとしてさせないためにどうするかというメッセージをうまく伝えていく方法をもっと考えていくべきだ。リッチランドの人々も、核を作りたくて作ったというよりは当時は仕事として国の政策のもとに行われたことだろう。『間違った判断』をさせないために、いかにシステム、政治の仕組みに落とし込むかということが重要になるのではないか」 (『ABEMAヒルズ』より)