錦織圭は少年時代に「忍び込みました」 全仏「赤土コート」の思い出を振り返り、バツが悪そうに苦笑い
【目先の勝利を追うことの危険性】 当の錦織にしても、全仏オープンの赤土は、キャリアのひとつの転換点である。錦織は16歳の時に、全仏ジュニア・ダブルスで優勝。さらにプロ転向した当初は、夢や目標として「全仏オープン優勝」を掲げていた。 その原点にあったのは、少年時代の無邪気な思い出。日本のトップジュニアとして、ヨーロッパ遠征に行った時の出来事であるという。 「12歳か13歳の頃、ほかの選手数人と一緒にローラン・ギャロスのセンターコートに入って。上からコートを見て、赤土も踏ませてもらったので......」 そう言うと錦織は、いたずらを見つけられた子どものような表情を浮かべ、「もらったというか、踏んでしまったというか......」と、ややバツが悪そうに笑う。 「完全に忍び込みました。なんか、ゲートとかも開いていたので」 そんな"冒険"の末に見た景色は、一層の憧憬を伴って、少年の目に焼きついたのだろう。 「たぶん、あの子どもの頃の記憶があって、それが『好きだ』っていう感覚になったんだと思います」 34歳になった今、錦織が20年以上前の日を振り返った。 今回、錦織が全仏ジュニア・アジア予選のアンバサダーを務めたのは、自身のそれらの体験からも、10代前半の経験の重要性を知るからだ。 「もちろん理想を言えば、どんどん若い頃、できれば12歳くらいから海外の試合に出て、経験を積んでもらいたいなって思います。ただ、みんなが海外に行ける訳ではないなかで、有名なテニスクラブに練習しに行くとか、そういう経験を少しずつでも作っていかないと、強くなる近道にはならない」 そう語る彼は同時に、参戦選手や保護者たちには「目先の勝利を追うことの危険性」も説いたという。 「これはプロになっても若干同じではあるんですが、常にみんなに言いたいですね。ジュニアの頃って(ラリーを)つなぐだけで勝てちゃったりする。ミスをしないだけで勝てることも多いんですが、それをしていると、急にプロで勝てなくなる。そこは特に、日本人に起こりやすいところなのかなと」 プロへの移行期で苦しむ後輩も数多く見てきた錦織は、「そこらへんを、もうちょっと誰かがサポートできたら」との願いも口にした。