「無駄なお金の使われ方をする五輪は終わりに」【松田丈志の手ぶらでは帰さない!~日本スポーツ<健康経営>論~ 第1回】
多くの感動と課題を残して閉幕した東京五輪2020大会から3年。今年また、五輪イヤーがやって来た。 2004年のアテネ大会から4大会連続で五輪に出場し、うち3大会で計4つのメダルを獲得した日本競泳界が誇るレジェンド・松田丈志がアスリートの視点で、そしてアスリートを支えるさまざまな活動をしている現在の立ち位置で、日本のスポーツ界が抱える問題を考察。読み手を<手ぶらでは帰さない>、そんな連載を目指して――。 * * * 東京五輪2020大会の開催が決まったのが2013年。自分が選手として出場できる可能性は低いと感じながらも、自国開催の五輪というだけで胸が高鳴る思いでした。プロリーグのない競技にとって、五輪は最高の舞台です。4年に一度、世界中の選手がそこに向けて本気で準備をしてきます。 私にとっても五輪は子供の頃からの憧れで、まさに人生をかけて挑戦してきた舞台でした。五輪という目標があったから長年競泳と向き合うことができたし、強くなるために試行錯誤し、課題を克服するその過程でさまざまな人との出会いがあり、今の自分が形成されてきたと思っています。 東京2020大会は、新型コロナウイルス感染症が猛威をふるった世界的なパンデミックの中、1年の延期を経て2021年に開催されました。〝バブル方式〟といわれる感染対策が敷かれ、無観客試合になるなど、多くの制限がある大会になりました。 また、コロナ以外にも多くの問題に直面しました。メインスタジアムの建て替え、公式エンブレムをめぐる盗作疑惑、組織委員会トップの交代、開閉会式の演出チームをめぐるトラブルも相次ぎました。予算も当初より大幅に増加し、大会後には汚職や談合も明らかに。五輪とお金の問題はより後味の悪いものとしてクローズアップされました。その影響で、2030年冬季五輪の札幌招致も昨年10月に断念するに至りました。 目に焼きついている光景があります。東京2020大会後、まだ札幌招致活動が推進されている頃のことでした。私が日本オリンピック委員会(JOC)を訪ねた際、ビルの入り口に札幌招致反対を訴える人たちが集まり、横断幕を掲げ、叫んでいました。自分が人生をかけて勝負してきた五輪の自国開催に反対している人たちの前を、私は俯きながら歩きました。 私は考えました。なぜこんなに批判されるのだろう。誰にも文句を言われない状態で五輪を開催することはできないのだろうか。例えば、「税金を使わない五輪」を開催することは、本当に不可能なのだろうか、と。 五輪開催を考える上で問題となるのは、(汚職や談合など取引上の不正は言語道断ですが)巨額の開催経費がかかるということです。東京2020大会にも、膨大な公的資金が投入されました。その内訳は組織委員会が6404億円、東京都が5965億円、国が4668億円で、全体の62%が公費(税金)で賄われました。税金の割合が多いほど多くの人に利害関係が及ぶため、五輪開催の意義やビジョンは広く国民に共有・理解される必要があります。 では実際、東京2020大会のビジョンは広く国民に理解され、達成できたのでしょうか? 東京2020大会のビジョンは、 スポーツには世界と未来を変える力がある。1964年の東京大会は日本を大きく変えた。2020年の東京大会は、「すべての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」、「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と調和)」、「そして、未来につなげよう(未来への継承)」を3つの基本コンセプトとし、史上最もイノベーティブで、世界にポジティブな改革をもたらす大会とする。 と掲げています。 素晴らしいビジョンですが、これらの抽象的な言葉は大会の成功を具体的に定義する難しさがあり、東京2020大会でこのビジョンが具現化されたかどうかは明確に答えが出ないと感じています。 五輪をひとつのエンターテインメントと定義したときに、現代の日本にはほかにも多種多様なエンターテインメントが存在しています。その現状において、多額の公的資金投入を国民に納得してもらえる、そんな五輪開催の意義やビジョンを掲げるのはもはや難しいと私は思っています。