19歳最年少レスリング世界王者、乙黒拓斗は東京五輪の星となれるのか?
レスリング世界選手権の男子フリースタイル65kg級で初出場の乙黒拓斗(山梨学院大)が19歳10か月で優勝、日本男子最年少優勝記録を44年ぶりに更新した。チャンピオンとなった乙黒は、負傷した足を気遣う大会マスコットの青ライオンに手を貸してもらいながら、表彰台の一番高いところから降りた。 ミックスゾーンで取材を受けたあと、右足を少し引きずりながら大会会場のすぐ隣にある選手宿舎へ戻ろうと数歩歩くたびに地元の観客にサインを求められていた。 歩いて5分もかからない距離にある宿舎へ「なかなか着けない」とうっすら照れ笑いを浮かべながら、ひとつひとつ丁寧に応えていた。6分間の試合で攻め続けた乙黒は、レスリングが盛んなハンガリーで少なくないファンを獲得したらしい。 だからといって急に人気者になって戸惑っている様子もない。物腰や言葉遣いに少年らしさを残した19歳の乙黒は、少しの困惑を見せるだけで、実に落ち着いた受け答えを続けていた。常に平常心でいる彼の特性は、レスリングの試合でもっとも発揮されていた。 現在のレスリングのルールには、試合中の得点に納得がいかない場合、その部分の録画の再確認を審判に求め、得点を数え直してもらう「チャレンジ」制度がある。点数が改められれば成功だが、失敗すると、チャレンジ制度を利用したの とは反対側の陣営に1点が追加される。チャレンジの瞬間が勝負の分岐点となることも多く、再確認の間、戦う当事者の心中は穏やかではない。号泣しながら待つ女子選手もいるし、どの選手もその瞬間は仏頂面でいることが多い。 となれば、一試合で4度もチャレンジが行われては当然、落ち着かないだろう。準決勝のアフメド・チャカエフ(ロシア)戦がそういった不安に襲われる試合だったはずだが、チャレンジが何度もなされたことについて質問すると、なぜ問われるのかわからないと不思議そうな顔で「普通に待っていました」と、特に心はざわつかなかったと答えた。 また、自分が得点するたびに反撃されて失点すると、「攻め疲れ」という現象が起きることがあるが、乙黒は失点しても攻撃の手を緩めずさらに得点を重ねた。 なぜあきらめずに攻められたのかと問われると、「攻めれば勝てるから」とやはりシンプルだが意外に聞かれない答えが返ってきた。 2018年アジア大会王者のプニア・バジラン(インド)との決勝は、準決勝を上回るシーソーゲームだった。右足首を傷めて思うように動けなくなった第2ピリオドの途中からは、さすがに「これ以上、後ろに下がるとまずい」と、3つの蓄積で失格になる警告の数が2つになったのを気にはしたものの、「ここで一番強いと思うと言ってもらった」セコンドの言葉どおり、終わってみれば16-9という差をつけて世界チャンピオンになった。 2歳年上の兄、圭祐とともに4歳から始めたレスリングでは、小学生ながら地元にある山梨学院大のレスリング部に混ざって練習していた。だが、これまでの最年少記録保持者(1974年大会の52キロ級優勝時の20歳6か月」で、山梨学院大の監督でもあるモントリオール五輪金メダリスト、高田裕司氏の薦めもあり、中学校進学のタイミングで未来の五輪選手養成を目指すJOCエリートアカデミーへ。世界カデット(16~17歳)選手権で優勝するなど活躍し、将来を期待される選手に成長した。 「いろんな大学からスカウトされていたみたいだけど、山梨へ帰ってきてくれた」(高田氏) まだあどけなさが残る乙黒だが、選手としての「ライフプラン」ははっきりとしている。