小屋で研究に没頭する『まんぷく』萬平のモデル・百福。「血が飛び散って…」スープの味をチキンに決めることになったちょっとショッキングなエピソードとは
2018年に放送されたNHK連続テレビ小説『まんぷく』がNHK BSとBSプレミアム4Kで再放送され、再び話題となっています。『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、安藤仁子さんは一体どのような人物だったのでしょうか。安藤百福発明記念館横浜で館長を務めた筒井之隆さんが、親族らへのインタビューや手帳や日記から明らかになった安藤さんの人物像を紹介するのが当連載。今回のテーマは「即席麺の開発 ~仁子の天ぷらがヒント」です。 【写真】実際にラーメン研究に使った研究小屋。カップヌードルミュージアム大阪池田にて * * * * * * * ◆「日本一のラーメン屋になる」 百福が理事長を務めた信用組合は倒産しました。 泉大津の時と同じように、百福はまたしても財産を失いました。 身辺は急に静かになりました。 池田市呉服町の自宅には訪れる人もありません。 「責任を持てない仕事は、いくら頼まれても軽々に引き受けてはいけないのだ」 百福は毎日、迷惑をかけた預金者一人一人の顔を思い起こしては、後悔に身をこがしました。家族のためにも、これからどうしていけばよいのか。頭の中はもうそれでいっぱいでした。 「え、ラーメン屋さんをなさるんですか」 仁子は思わず耳を疑いました。 「ラーメンといっても、いつでも、すぐに食べられるラーメンだ」 百福は自信ありげに言いました。 いったん思いついたら、もうこの人には何を言ってもだめ。 仁子は、百福の性格をよく承知していました。だから、いつも黙って後をついて行くだけ。それが仁子のやり方です。 「日本一のラーメン屋になる」 百福の言葉に、仁子は安心したのです。
◆五つの目標 前年の経済白書は「もはや戦後ではない」とうたっていました。しかし、百福の脳裏には、戦後の貧しい時代に見たヤミ市のラーメン屋台の行列と、厚生省でのやり取りがよみがえっていたのです。「寒さに震えながら、一杯のラーメンを食べるために、人はあんなに努力するものなんだ。ラーメンはきっと人を幸せにする」 そう信じて、研究にとりかかったのです。 部下もいなければ、お金もありません。昔なじみの大工さんに頼んで、庭に十平方メートルほどの小さな小屋を建ててもらいました。大阪ミナミの道具屋筋を回って中古の製麺機、直径一メートルもある大きな中華鍋を買いました。十八キロ入りの小麦粉、食用油などを買い、自転車やリヤカーの荷台に乗せて自宅まで運びました。 裸電球の下で開発作業が始まりました。大量生産できて、家庭でもすぐに食べられるようにしたい。そのために五つの目標を立てました。 一つ、おいしいこと。 二つ、保存できること。 三つ、調理が簡単なこと。 四つ、安いこと。 五つ、衛生的なこと。 朝の五時に起きて小屋に入り、夜中の一時、二時まで麺を打つ作業に没頭しました。百福は麺についてはまったくの素人で、ああでもない、こうでもないと失敗を繰り返しながら、少しずつ前に進む以外に方法はありませんでした。麺の水分、塩分、かん水などの配合は微妙で、作っては捨て、捨てては作るという繰り返しです。 ようやく、麺の配合が決まりました。そこから先は、阪急池田駅前の栄町商店街の入り口にあった製麺所・吉野商店の初代主原(ぬしはら)宇市に頼み込んで麺を打ってもらうことにしました。 「いったい何を始めるんですか」と聞かれましたが、説明に困りました。 出来上がった生麺を自転車で運んでいると、近所の人が振り返って見ています。昨日までは、たとえ小さくても信用組合の理事長です。 「落ちぶれてかわいそうに」とでも思われていたのでしょう。 何度も逆境から立ち上がってきた百福はそんなことは一向に気にしません。口ぐせの「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんでこい」(安藤百福語録)を地で行く奮闘ぶりでした。
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