大山のぶ代さん逝く「ドラえもん」の声に目覚めたシンデレラの継母役
<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム> バラエティー番組「月曜から夜ふかし」(日本テレビ系)には毎回、こんな人いたのかという高レベルな個性派が登場する。そんな中で、一見地味なクレープ店「コロット」勤務の木村佳代さんが準レギュラー化している理由は、ひとえにその声が「ドラえもん」だからだ。アニメの主人公を超えて「国民的声」とも言える認知度を改めて実感させられる。 その「声」の主、大山のぶ代さんが90歳で亡くなった。 実写映画の俳優と違って、ファミリーアニメの声優を取材する機会は実はそんなに多くない。過去の記事を見返してみると、唯一90年3月10日付で「ドラえもん のび太のドラビアンナイト」と「ドラゴンボールZ 超サイヤ人だ孫悟空」の同日公開対決記事を書いていた。 ドラえもんの巨大なバルーンの下に立った大山さんがファンに手を振る写真も掲載されている。ドラえもんの声を担当して12年目。舞台あいさつが板についていたことを思い出す。テレビの記録映像を見て、ドラえもんと地の声の巧みな切り替えに改めて感服したが、独特の「しゃがれ」をとっても、その声にはドラえもんの雰囲気が残って聞こえるから不思議だ。 世代的にはNHKの人形劇「ブーフーウー」が大山さんの声との出会いだ。3匹の子ぶたのブーが大山さん、フーが今年6月に亡くなった三輪勝恵さん、そしてウーが黒柳徹子というキャストだ。テレビ草創期を支えたそうそうたるメンバーである。 映像はおぼろげに頭に浮かぶのだが、どうしても声が思い出せない。80年代になって自分の子どもたちと一緒に「ドラえもん」を見ているうちにいつの間にか「声」が上書きされてしまったのだと思う。大山さん=ドラえもんの印象はそうやって世代を超えて広がったのだろう。 子どもの頃はその声のせいで辛い思いもしたようだ。快活だった少女は小学校に入学してから同級生から声をからかわれ、無口になってしまったという。母親の勧めで中学時代には放送研究部や演劇部で活動するようになる。 当時の心境を自著やインタビューの中で「本当に落ち込んでいました。母に『声を出しなさい』と背中を押されたのが救いになった」と明かしている。 演劇部でもなかなか活躍の機会がなかったが、「シンデレラ」の継母役を演じて自分の声の生かし方を自覚したという。 俳優座の同期生には水野久美、露口茂、井川比佐志、山本学、藤岡重慶、田中邦衛とそうそうたる顔ぶれが並ぶ。そんな中でも独特の声は武器となり、ドラマやバラエティーの出演が引きも切らなかった。 独特の声に、放送本数が増えつつあった海外ドラマの吹き替えの仕事が舞い込む。「名犬ラッシー」で声の仕事を始めたのは俳優デビューわずか1年の23歳の時だった。子どもの頃のコンプレックスをバネした順風な声の仕事で、「ドラえもん」と出会ったのはその22年後だった。 05年、26年続けた「ドラえもん」の仕事から離れてからも、自分の中にドラえもんがいて、思い悩んだ時は「自問自ドラ」をしていることを明かしている。台本でやや乱暴に感じたセリフを自分の言葉に置き換えていたとも。文字通り「体の一部」だった。 05年にともに「ドラえもん」を降板し、26年間をともにしたのび太役の盟友、小原乃梨子さんも3カ月前に88歳で亡くなった。今年は「ドラえもん」メモリアルの年として記憶に焼き付けられることになるのだろう。【相原斎】