湖の底に眠る「謎の遺跡」、なぜ水中から大量の矢尻や土器片が? 過去に論争も…ボーリング調査で成り立ち探りの解明目指す
長野県環境保全研究所(環保研、長野市)などの研究グループは24日、水中遺跡として日本で最初に発見された諏訪湖底の「曽根遺跡」(縄文時代草創期)の成り立ちを探る初のボーリング調査をする。直下の地層を調べ、堆積の状態などから遺跡を巡る外的環境の変化などを分析。水中にある理由を巡って論争が起きた「謎の遺跡」の解明を目指す。 【写真】諏訪湖畔の調査で採取した堆積物の標本。諏訪湖が水位変動を繰り返していたことを示しているという。
湖岸から300メートル、水深は1.5メートル前後か
同遺跡は諏訪湖に注ぐ千本木川河口(諏訪市湖岸通り)から約300メートルの湖底で、1908(明治41)年に発見された。水深は1・5メートル前後とみられ、遺物の状況から約1万5千年前の遺跡とされる。
堆積物から地層がつくられた年代を特定へ
調査は、お茶の水女子大や東京都立大、高知大などの研究者が諏訪湖を巡って進める共同研究の一環。遺跡保全の観点から遺物が多く出土した地点よりやや南側をボーリングする。湖底から約4メートルまで掘り、堆積物に含まれる植物の炭素同位体を調べて地層が形成された年代を特定する。堆積物の粒度などを調べ、土砂流入の影響の有無など地形の成り立ちの解明を図る。
地滑りで湖に流入? 諏訪湖の水位が変動?
水中にある理由を巡り、研究者の間では、地上にあった遺跡が「地滑りで湖に流入した」「湖の水位変動で水没した」などさまざまな説が唱えられ「曽根論争」も起きた。
湖岸の調査では諏訪湖が水位変動
調査に当たる環保研自然環境部の葉田野希技師(34)は2023年3月までの3年間、信州大(本部・松本市)と共同で、上川や宮川の河口に近い諏訪湖岸の2カ所でボーリング調査を実施。過去1万6千年分の堆積物を調べ、数百~数千年ごとに水位変動を繰り返していたことを突き止めた。新たに曽根遺跡の地層も調べ、諏訪湖の水位変動を裏付けると同時に遺跡の成り立ちの解明も進める。
年度内に分析し、地質的な年代などが分かる見込み。葉田野技師は「水中にあった地層の下に、地表にあったことを示す痕跡が見つかれば、諏訪湖の水位変動を裏付けられる。遺物から推測されてきた年代と地質学的に特定した年代を突き合わせ、水中にある謎の解明や新たな発見につなげたい」としている。
■曽根遺跡とは
【曽根遺跡】 高島尋常小学校(現上諏訪小学校)教員だった伊那市出身の橋本福松が1908年、諏訪湖底で矢尻2個を発見。以後の調査により南北350メートル、東西210メートルのエリアで矢尻や黒曜石のかけら、土器片など推定1万点以上が出土した。水中にある理由を巡って論争が起き、諏訪市出身の考古学者藤森栄一(11~73年)が湖周辺に点在する遺跡の標高を調査。諏訪湖が縄文時代に拡大、縮小を繰り返し、遺跡は水位上昇で水没した―との説を65年に専門誌で発表した。