阿川佐和子「たった一夜の」
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。番組のロケでガーデニング専門店へ赴くことになった阿川さん。園芸は得意ではなかったけれど、行ってみたら興味が湧いたそうで――。 ※本記事は『婦人公論』2023年10月号に掲載されたものです * * * * * * * テレビのバラエティ番組の司会を務めることになった。といっても一人ではなく、ずんの飯尾和樹さんとご一緒だ。主に飯尾さんが進行を担ってくださるので、私は隣で茶々を入れていればいいという、まことに気楽な立場にある。 飯尾さんは人気お笑い芸人であるけれど、気負いや自己顕示欲がほとんど感じられず、なんというか、そばにいるだけで心安らぐというか、言ってみれば飯尾さんの持ちネタであるゴロゴロ気分になれる。 『日曜マイチョイス』というタイトルの当番組の趣旨としては、「ゲストが今はまっている趣味をご披露いただいて、シニア世代の視聴者の生きるヒントになれば幸いなり」というもので、毎回、ゲストの「マイチョイス」を紹介する。 だからいちばん大変なのはゲストである。本番の前に地方へロケに行ったり、料理を作ったり、フラメンコを踊ったり、家庭菜園で農作業を行ったりしていただく。その映像を、飯尾さんと私がゲストとともにスタジオで拝見し、「へえ」とか「ほお」とか「楽しそうですねえ」と感心していればいいのだ。 回が重なるにつれ番組制作者は、どうもMCの二人が楽をし過ぎていることに気づいたらしい。妙案を思いついたようだ。 「次回は、飯尾さんとアガワさんに、ロケに出かけていただきます!」 こうして私たちは、夏の炎天下、練馬区にあるオザキフラワーパークというガーデニング専門店へ赴くことになった。
さほど園芸が得意ではなかったが、行ってみれば興味は湧く。店の社長さんに案内していただきながら、育ててみたい植物を次々カートに入れていった。 ミント、バジル、フェンネル。もっぱら料理に使えそうなハーブを選ぶ。ときおり、「あら、このミニソテツ、可愛い!」と小さな鉢を手に取ってカートへ。「なにこれ、蚊を寄せつけないハーブだって。面白い!」とカートにポン。 「そんなに買うんですか、アガワさん」 飯尾さんに呆れられつつ、あれもこれも欲しくなる。そして最後に、 「そうだ、私、月下美人を育ててみたいと思ってたんです」 するとすかさず社長さん、 「月下美人なら、ありますよ」 昔々、実家の玄関に月下美人の大きな鉢があった。サボテンの仲間であり、普段はアロエのような肉厚な緑色の葉が伸びているだけの殺風景な姿だが、夏の時期になると、その太い葉の節に小さな蕾が生まれる。白い蕾はみるみる成長し、まるでカメが甲羅からにょっきり首を伸ばしたかのような格好でどんどん大きく太くなっていく。そして突然、それも必ず夜間に音もなく(って当たり前だが)パッと咲く。その瞬間、なんとも言えぬ南国らしいエキゾチックな香りを放つのだ。 居間でテレビを観たり食事をしたりしているとき、 「あ、咲いた!」 香りに気づき、玄関に飛んでいくと、はたして大輪の花火のごとき白い花が満開になっている。その劇的な咲きようといい、その後数時間、堂々たる威容と香りをあたりに振りまいておきながら翌朝には花を閉じ、潰えてしまうさまといい、その潔さの見事なこと。まさに月の下でたった一夜だけ咲き誇る美しき花の生涯なのであった。 親元を離れ、自分の住処を得てのち、今一度、あの月下美人の夏の一夜を愛でたい。そう願っていたことを思い出したのだ。 「え、あるんですか?」 「これ、いかがですか。蕾が二つもついています。まもなく咲きますよ」 私は躊躇するまもなく月下美人を、正確には「月下美人の仲間、宵待孔雀」と札に書かれた鉢を抱きかかえ、他のハーブやミニソテツ、そして土や植え替え用の鉢ともども家に持ち帰った。