ネオナチの父親の言葉に込められた思い ドイツ映画『女は二度決断する』
ネオナチの事件は現実、「信じられる空間をできる限り正確に描くことが重要だった」
本作は、トルコ系移民の夫を持つカティヤ(ダイアン・クルーガー)が、白昼、爆弾テロによって息子と夫を失うところから始まる。事件がネオナチの起こしたものと実証されるまで、そして犯人と思しき夫婦が裁判で裁かれるも不起訴になるまでを描く。その間、カティヤが経験する理不尽なことの数々。それを目の当たりにする、観客の怒りのボルテージも徐々に高まっていく。 それらの物語を表現するのは、「家」や「法廷」など限られたスペースでの、言葉の応酬であることが多い。さらにカティヤの一人芝居が続くこともあり、“場”による演出は重要だったのではないかと思えた。実際、カティヤが住むガラス張りの大きな家は、時に危険に身をさらけ出すかのように無防備に見え、時にシェルターのように彼女を守るかのようにも見える。 アキン:何よりも自分が、物語を綴る空間を信じなければ、という思いがありましたし、できる限り正確に描くことも重要でした。例えば彼女の家は、家族が生活し、存在したのだと、僕自身が信じられなければならなかったし、物理的にスタッフの出入りが可能な場所でありながら、同時にフォトジェニックでなければなりませんでした。こういったセットやロケ場所、メイク、衣装、彼女の自殺未遂にいたるまで、シーンすべてが、僕自身が信じられるものでなければならなかったのです。 法廷は、ご存知のようにネオナチグループNSUによる連続テロ事件をもとにしており、ミュンヘンで行われた裁判の公判にも足を運びました。そういった現実をきっちりとおさえながらも、映画として撮影できる場所でなければなりません。ひとつのインスピレーションとして美術さんに見せ、参考にしてもらったのは、オーソン・ウェルズの『審判』(1963)です。
クルーガー:私はあの家に、温かみを感じていました。家族のための家だったので。ただ、家族を失ってからは、広い家を持て余し、使われない寝室、大きな廊下……、家族の思い出が詰まった空間だけが残された。その後は、彼女がノスタルジーに浸るための場所となった気がします。 法廷シーンで、「カティヤが証言台に着くまでを、カメラがスクエアなタイルを舐めるように俯瞰で移動して行くショットが印象的だった」と感想を挟む。 アキン:「そう、実は床を撮りたかったのです。あれは美術が用意したものではなく、場所自体がああいった床でした。ずっとカティヤの顔をアップで撮っていたので、どうやったら床のシーンを取り入れられるかと考えている中で思いついたショットです。あのタイルのマス目は死刑台への13階段を意味しています」