「不安7割・希望3割」7月豪雨被災地“酒田”が迎えた冬…被害を受けた自宅・農地“先が全く見えない”のは変わらず【山形発】
“被災農地復旧3年めど”に不安
そして、農地の復旧も大きな悩みだ。機械を入れられず、刈り取り出来ないまま冬を迎えた「つや姫」。相蘇さんが関わる7町歩ほどの農地は、全て土砂や流木の被害を受け、3棟あったハウスも全て流された。 被災農地について市は、3年をめどとして、2026年度までに順次復旧させる計画だが、専業農家の相蘇さんにとってはとても長い時間となる。相蘇さんは「向こうの山の方もあるので果たして3年で大丈夫なのかな…と。3年まで自分が持ち堪えられるのかなという不安の方が大きい」と語った。 また、農地の復旧費用には大部分で国や市などの補助が受けられるが、利用する農家ごとに一部「負担金」が生じる。2025年以降の収入の見通しも立たず、「支援制度」や「融資」の説明を聞いても返済の負担が頭をよぎり、思い切って踏み出せない現状があった。 相蘇さんによると「農地が全部やられているので、それで申請しろと言っても、機械を買っても使えない状態。復旧するまでは農業収入ゼロなので、その支払いはどうすれば良いのか。農家一本だと簡単にお金を貸してくれるところもない」という。 酒田市内の農作物被害は、調査中の大沢地区を除き、5319ha・34億6400万円(10月17日時点)。農地や土地改良施設の被害は385件、41億8600万円に上る(9月末時点)。被害が大きい農地や農道は、12月11日に国による「災害査定」が終わり、今後、公費を用いた復旧が進められるが、本格的な工事の開始は2025年春以降の見通しだ。
「安住の地を探さないといけない」
集落の土砂の撤去が終わった酒田市北青沢地区には、12月14日、しんしんと降る雪の中で川のせせらぎだけが響いていた。被災した多くの住民は、いま仮住まいなどで集落を離れている。 この地区に住んでいた五十嵐君子さんは「もうさみしいばかり、雪降って。この川だよの。小屋渕川、きれいな水で、うそのようだ…」と話す。大雨で小屋渕川からあふれた水や土砂は、五十嵐さんの自宅を含む集落の家々を広い範囲で襲った。 被災直後の五十嵐さんは、かろうじて出入りが出来た窓から家の中に入り、思い出の品や貴重品などを運び出していた。五十嵐さんは「あの時はこっちから…。窓のすき間から入ってきた。けっこう土砂がいっぱいだった」と当時を振り返る。その後、ボランティアなどの協力で土砂は撤去されたが、母屋は「全壊」と診断され、解体することを決めた。 この日、五十嵐さんは兄と一緒に古いお札などを取りに自宅へ戻ってきていた。現在は、被災者向けに提供された県営住宅で1人暮らしだが、入居期間には制限がある。“その後の住まい”をどうするのかは、自分で考えなくてはならない。 五十嵐さんは「これからここに住めないとなれば、安住の地を求めて探さないといけない。仮住まいが終わるまでに下準備しないと、その時に慌ててやってもどうしようもないし、間に合わない。年齢も1年2年と増える」と語る。 止まることなく進んで行く「時間」。復興を見届けたい気持ちはあるが、収入や災害への不安に加え、集落を離れることを決めた知り合いの姿を見ると、心が揺らぐ。「今は不安が7割、希望が3割。それが逆転すれば良いが、来年は半々ぐらいまで近づけていきたい」と五十嵐さんは語った。 災害発生からまもなく5カ月。被災地・酒田は復興への希望と生活の不安が入り混じる中、本格的な冬を迎えている。酒田市の矢口市長は、「被災者の当たり前の暮らしを取り戻す」としているが、まだ長い時間がかかりそうだ。五十嵐さんが話していた「今は不安7割、希望3割」という言葉はとても重い。これを一刻も早く逆転させることが、行政に課せられた「2025年の大きな課題」と言えるかもしれない。 (さくらんぼテレビ)
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