入院中のK機長を目撃して「これは明らかにおかしい…」 羽田沖日航機墜落事故はなぜ1人も起訴できなかったのか【警視庁元鑑識課長の証言】
やるべきことは全てやった
K機長は鑑定留置の期間が満了した後、都立M病院に「措置入院」となった。田宮は、K機長の責任追及断念は仕方がないとしても、彼を管理する立場にあった日航幹部らの責任は問いたかったと言う。精神状態に問題がある者を乗務させていた運航乗員部長や、病気を見抜けなかった嘱託医の責任である。 しかし書類送検された計6名は、いずれも「事故の危険を予見することは困難だった」という理由で不起訴処分になった。こうして精神病の機長の操縦で墜落した旅客機事故の捜査は、刑事上の責任を誰も取ることなく終結してしまったのである。 「遺族の感情を考えると、不起訴処分になったことについては今も忸怩たる思いがあります」と語る田宮。だが、少なくともやるべきことは全てやったという達成感はあった。 巨大事故が立て続けに起きた“呪われた”2日間とそれに続く捜査の日々、田宮は鑑識課長、捜査一課長として捜査の前線に立ち続けた。以後も多くの事故や事件に立ち会ったが、これほどまでに捜査に忙殺された激動の日々は、あとにも先にもこの時だけであったと記憶している。 上條昌史(かみじょうまさし) ノンフィクション・ライター。1961年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部中退。編集プロダクションを経てフリーに。事件、政治、ビジネスなど幅広い分野で執筆活動を行う。共著に『殺人者はそこにいる』など。 デイリー新潮編集部
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