「全共闘以外のやり方はなかった」「反動も大きい」 1960年代の学生運動は社会を変えた?参加者らに聞く功罪 現代への提言は
しかし、卒業後は資本主義社会の労働者として組み込まれていくことに、運動に参加した学生たちに葛藤はなかったのだろうか。「いろんなタイプがいるが、共産党系の考え方を持っている学生たちは、将来に備えて、新聞社、銀行など様々な会社に散る中で党の任務に尽くす。もし革命をしようと思ったら、生産現場で立ち上がらなければならない。という考え方だ」。 前田氏が関わったのは、「まだ学生運動を一部の人がやっているような時代」。全共闘世代より前にあたり、「革命を起こす」という世代とは区別が必要だという。「全共闘世代は、別に革命を目指していたわけではない」。
東大全共闘では、医学部生への不当処分が闘争の引き金となった。橋爪氏は「医学部教授から“反省してください”という要求はあり、それはもっともだ」とする一方、「同じ学生が処分された。それを傍観して知らんぷりでいいのか、自分さえよければいいのか、と考えた人たちが声を上げる。しかし、それで処分はなくなるわけではないので、もっと強く言う、つまりバリケードストライキへとエスカレートしていった」と語った。
■「反動も大きい」 学生運動の功罪
学生運動は、後世に何をもたらしたのか。『続・全共闘白書』での全共闘世代に向けたアンケートによると、運動がその後の日本に何らかの役割を「果たした」と72.4%が回答した。反対に「果たさなかった」は15.5%だった。 前田氏は、「日大闘争で学生側が民主化を勝ち取った」と話す。「当局が謝って、“普通の大学にします”ということになった。ところが当時の佐藤栄作総理が『変わったらえらいことになる』と、もう一度処分が始まった」。日本一学生の多い日本大学で立ち上がり、その後東大闘争へと結合していったことが「全共闘運動の画期的なところ」だと分析する。
また、東大全共闘の功績として、「医師になる前の人は人じゃなかった。タダ働きをさせられたり、医局の言うとおりにしなければいけない。その人達が運動を起こして、結果として日本の医療が改善された。私は活動家としての責任はあるが、そうした成果は声を大にして言いたい」と語った。 橋爪氏はそれらへの理解を示しつつ、反対の効果のほうが大きかったとみている。「同じことをやってもダメだと、大状況への関心を失い、何かしなくていいのかと考える習慣がなくなった」。加えて、学生運動が広がるにつれ、分裂や「内ゲバ」による殺人事件も起きたことで、「みんな引いてしまった。本来の学生運動や全共闘運動はそれと別物だが、普通の人からは連続して見える」。とはいえ当時の状況を考えると、「全共闘以外のやり方は思いつかない」という。