ザンビアで奮闘〝農業系〟海外協力隊員 赤茶けた大地での試行錯誤
「日本を体現してくれる存在」
それでも、「祭りなどを村人全体で取り組む姿は日本に似ており、親近感を持った」(中村さん)、「牛を褒めると喜んでもらえるのは日本と同じ」(渡辺さん)と、日本農業との共通点を見いだしながら日々を過ごす。 協力隊の任期は通常2年間。終了後の道はさまざまだ。渡辺さんは海外にも興味はあるとしながらも「日本で改めて畜産を学びたい」と語る。中村さんは帯広の実家に帰る予定で「異なる気候や資材が少ない中で工夫しながら行った農業は、必ず日本でも生かせるはず」と話す。 1965年に始まった海外協力隊は今までにアジア、アフリカ、中南米などの開発途上国を中心に延べ5万5000人以上を派遣している。派遣分野は農業だけなく教育、コミュニティー開発、保健衛生など多岐に及ぶ。 ザンビアでも現在、さまざま職種の協力隊員が活動している。竹内一之在ザンビア日本国大使は「(協力隊は)日本を体現してくれる存在。感謝してもし切れない」と話すなど評価は高い。
取材後記
記者もこの仕事に就く前、青年海外協力隊員としてアフリカで農業を教えていた。海外協力隊は決して華々しい仕事ではなく、「井戸を掘る」「子どもたちとイベントを開く」などはまれだ。特に農業系の隊員の生活は厳しく、何もない農村部の片隅で、現地農家や配属先の同僚と土にまみれながら日々を過ごすことが多い。 それでも、農家とは話す言葉こそ違うものの、農業という共通語が通じる。農業を通して思いを通じ合わせ、農作業を共にできたことはとても楽しく貴重な経験だったと今でも印象に残っている。 記者が協力隊を終え帰国して8年。再び踏みしめたアフリカの大地には、やはり日本の若者たちがいて、同じように活動していたことをこの目で見られてうれしかった。(音道洋範)
日本農業新聞