先代の琴櫻はなぜ「突然変異」の連続優勝&横綱昇進を果たせたのか…今も忘れない「昭和48年1月」最大の謎
復活した「懐かしい名前」
大相撲、令和六年五月場所、「大関・琴櫻」の四股名が復活した。横綱だった祖父の四股名を襲名したのだ。 【写真】おかしくないか?…横綱・照ノ富士が膝につけている「異様な器具」 ずいぶんと懐かしい名前だ。祖父が引退したのは昭和四十九年なので、ちょうど五十年前になる。 名前は懐かしいが、令和の琴櫻は、昭和の琴櫻とあまり見た目が似ていない。 相撲の取り口も、あまり似ているようにおもえない。昭和の琴櫻は広い額でがーんとツッコむ相撲だった、という印象がつよい。イメージでいえば犀のような、というところだった。 そういう点では、王鵬も懐かしい。 王鵬は五月場所では前頭四枚目、大関を二人倒したのに、六勝九敗に終わった。七月場所は少し番付が下がるのが残念である。 彼は大鵬幸喜の孫である。父は貴闘力。大鵬の孫だとはよく紹介されるが、貴闘力の息子だと紹介されることは少ない。 たしかに王鵬は、貴闘力よりも大鵬のほうに似ている。色白で、その気配がかつての大横綱大鵬を彷彿とさせるところがある。ああ、大鵬のお孫さんなんだなあとおもって、それだけで応援したくなってしまう。 王鵬の取り口は、勝つときはずっと押し続けてとても力強いのだが、押し込めないとき、ふっと引いてしまう。引いても相手はつんのめらないことが多く、そのまま押し込まれていくのを何度か見ている。
「感慨深い二人」の孫
祖父の大横綱大鵬の取り口は受け型で万全と言われていたが、晩年は、不用意にはたきこんで押し込まれていく、という相撲を見た。たぶん数回くらい、そんなに多くなかったとおもうのだが、なにせ「負けない大横綱」として君臨していたので相撲中継でも負けた姿をあまり見たことなく、不用意なはたき込みで、土俵を割る姿が、数回だとしても、とても印象深いのだ。 王鵬の取り口を見ていて、ああ、負けるときの大鵬みたい、と何度かおもってしまった。まあもちろん、大鵬の孫だ、とおもって見てるから、だけど。 これからの相撲取りなので、もう少し我慢すれば、上に上がっていくんじゃないかと期待している。大の里や琴櫻と並ぶ相撲取りになって欲しい。 大鵬と、先代の琴櫻は同時代の関取である。 どちらも昭和十五年生まれの同い年。 入門は大鵬のほうが早いので出世も早く、琴櫻が幕内力士となったとき、すでに大鵬は横綱として六場所連続優勝を成し遂げているところだった。琴櫻が大関に昇進したころには、大鵬は幕内優勝26回という空前の記録を残しており、圧倒的な存在であった。 琴櫻と大鵬の取り組みはあまり覚えていないのだが、記録を見ると、初顔合わせから18回、大鵬が勝ち続けている。圧倒的に負けていたらしい。のちに琴櫻は四回勝った。まあ、この時代の力士はほぼみんなそんなものだ。大鵬相手に幕内の対戦で10回以上勝ったのは、ライバル柏戸と、あとは北葉山くらいである。 昭和四十年代の大関横綱を務めていた二人の孫が、令和になって相撲を取っているのを見ると、なかなか感慨深い。 琴櫻は長く大関だった人だ。だから北葉山とか、豊山とか、清国とか、長く大関をやってそのまま横綱にならずに引退するタイプの大関だとおもっていた。 でも昭和四十七年の十一月場所になって爆発した。