「人の目が気になったし、恥ずかしかったのでパラ出場は考えていなかった」眞田卓選手の車いすテニスとの出会い
12年届かなかった夢「グランドスラム」
その後、日本代表として出場したパラリンピックでは、ダブルスの成績が、ロンドンベスト8、リオ4位、東京4 位、シングルスでは東京で9位、シングルランカーの実績だ。 「でもプロになって10年たってもグランドスラム大会に出られなかったんです。」世界ランキング8位にも関わらずに、だ。 「グランドスラムに出ていないことで、トップ選手のボーダーラインに本当にあと一歩届かないと、気持ちが擦り切れていく感じでした。いい位置にいても胸を張れないというか…..」もうやめたいと思ったことは何回もあった。 「でもやっぱりテニスが楽しいので続けられたのだと思います」 粘り強く転戦を重ね、ついに2023年、グランドスラムの全米オープンに出場。そして初出場にして優勝を果たしたのだ。「尊敬するウデ選手とダブルスを組んだんです!」フランスのステファン・ウデ選手は52歳。 北京、リオ、東京パラの金メダリストだ。
“90歳ダブルス”で念願の初優勝
「本当にいろんな奇跡がありました。」出発の直前、自宅でソファーにぶつけて足をパンパンに腫らしてしまった。「現地での練習も十分にできませんでした。しかも前日の30分間の練習中、車いすの大事なところが壊れてしまったんです」とにかく応急処置で出場し、1回戦は逆転勝ち。 「でも記録的な暑さで、脱水症状になっちゃいました。医師に診てもらったけど、痩せちゃって..」これらの困難を乗り越えての優勝だった。「2人で抱きあいました。『2人で足して90歳だね。優勝できて本当によかったね』と。まさに最高の瞬間でした」
“競技者”として生きるのは人生の1割
昨年、国枝選手が引退した。「これがきっかけで自分にも引退の言葉がよぎり、今このプレーができるのは最後かもしれない、と思うようになりました。そして、競技者としての人生は、人生全体の10%ぐらいだと気づいたんです。だから、それ以外のことにも目を向けたくて、カメラにも挑戦しています」テニス仲間の、競技以外の時の自然な表情を撮るのが楽しいと笑顔を見せる。 14年間プロとして続けてこられた理由も、やはり「楽しさ」だった。「試合に勝てれば単純に嬉しい。ランキングが上の人や2メートル級の選手に勝てればすごく嬉しい。車いすテニスはプロでも一般の人でも健常者でも、誰とでもコミュニティが作れるんです」