365日毎朝、空の表情をSNSで語りかけた歌人の初めての詩集(レビュー)
一ページに短い文章が三つずつ、行儀よくならんでいる。どれも空について書かれており、三つでひとつかと思ったが、一行一行が別の空を描写していることに気づく。毎朝、その日の空模様を言葉にしてTwitter(現在はX)に投稿した一年分の文章をまとめた本なのだ。 空はだれもが平等に見ることができるものだ。でも、見たものを意識しているかどうかは疑わしい。いまも今朝の空を思い出そうとしたが、憶えているのは曇っていたということだけ。どんな感じに曇っていて、その状態に心がどう反応したかは思い浮かばない。 日常生活では、朝の空はその日の振舞いを決める目安になることが多い。洗濯物は外に干すべきか、外出のときに雨傘を持って出ようか、昨日より着込んだほうが無難かなど、その日の過ごし方を空の様子を見ながら判断している。 ところが、著者の空との触れ合いはそうではない。生活を横に置いて空にむかって体を開くのに近い。空と自分だけで、ほかにだれもいない真空状態。ひとりを実感せずにいられないすがすがしくも緊張感をともなった時間を、慈しみつつ綴っている。 思えば朝、目を開けた瞬間はだれもがひとりである。世界にたったひとりで対面する一瞬をみんなが平等に持っているのだ。 「今まで言えなかったことを、今言っても、言わなくても、白いままの空なのだと思います」「この一つきりの地球のごく一部にふる雨の、ひえびえとした一瞬の雨粒が、見えます」「遠いところから名前を呼びあうのによさそうな、きれいな水色の空です」 SNSの言葉は日記とちがい、むこうにだれかいるのを想定して書かれるものだ。これらの言葉もおなじである。毎朝、見えない読者に語りかけた三百六十五個の空の景色が詰まっている。 [レビュアー]大竹昭子(作家) おおたけあきこ1950年東京生まれ。作家。小説、エッセイ、批評など、ジャンルを横断して執筆。小説に『図鑑少年』『随時見学可』『鼠京トーキョー』、写真関係に『彼らが写真を手にした切実さを』『ニューヨーク1980』『出来事と写真』(共著)など。朝日新聞書評委員。朗読イベント「カタリココ」を開催中。[→]大竹昭子のカタリココ 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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