現役最高齢”伝説の大道芸人”ギリヤーク尼ヶ崎、街頭での50年を振り返る
伝説の大道芸人と称される現役最高齢の大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎(87)。津軽民謡を素材とし、震災などで亡くなった人々への祈りや母への思いが込められた独自の踊りは、観る人の魂を揺さぶってきた。自分の踊りと合わないと思う場では決して踊らず、ほとんどの公演をただひとりで行い、海外でも1970年代から何十回と公演を敢行。次々と襲ったパーキンソン病や心臓の病と戦いながら踊り続け、今年10月にいよいよ街頭での芸歴50周年を迎える。 「50周年記念公演」と銘打った各地での公演が横浜で開催されるのは5月19日。恒例となった六角橋商店街でのイベントを前に、ギリヤーク尼ヶ崎の足跡を振り返る。
体操少年から創作舞踊の道へ
本名は尼ヶ崎勝見(あまがさき・かつみ)。1930年、父・幸吉と母・静枝の間に6人兄弟の次男として函館市に生まれた。 誕生日は8月18日。なぜか途中で一日繰り下がり、現在戸籍上は8月19日となっている。
実家から小学校までは200メートル。「この距離が宇宙のすべてのように感じていたんだ」と尼ヶ崎は振り返る。幼い頃は体操少年で、旧制中学時代には第一回の国体の北海道代表選手に選ばれたほどだったが、体調を崩し中退した。
その後、生家の菓子店を手伝い、映画館に菓子を配達しながら映画俳優に憧れた。1951年に上京し、新劇や映画のエキストラに取り組むが、函館弁が抜けず挫折。自ら踊りを作り心の奥底を表現することに魅かれ、ドイツ帰りの創作舞踊家、故・邦正美に1953年から 3年間師事し、踊りの基礎を培った。
38歳で街頭デビュー
1968年10月、舞踊家としてデビューしていたが、舞踊では生計が立たなかった。東京で同居していた母は、すでに60歳になっていた。履物問屋の賄い婦をし、いつも疲れ切った顔で仕事に出かける母の寝顔を見ていると胸が締め付けられる思いで悲しくなった。どうやって自分の作った踊りで食べていけばいいのか。 「街頭で投げ銭をもらって母さんを養おう、街頭で発表しよう。」38歳の勝見は決意した。「なんとか自活して母を楽にさせたい。自分の全存在を掛けて、本当の生き様を踊ろう」と。 同月26日、銀座・数寄屋橋公園で踊ったのが、初めての大道芸となった。踊り終えて横断歩道を渡ろうとした時に、突然黙って50円玉を手に握らせ、恥ずかしそうに駆け出していった女子高生のことは今でも忘れられないという。投げ銭は全部で1,500円ほど。のちに1回の公演で78万円という投げ銭伝説をなす大道芸人のはじめの一歩だった。