「全部海へ流された」原爆で傷ついた広島を襲った悲劇 昭和の三大台風「枕崎台風」被爆者を含む156人が犠牲になった病院 フィルムに刻まれる被害の爪痕
病院の元看護師 古原ユキエ さん 「下の方がジャーっと全部、水だらけになってね」 突然、水が襲ってきました。わけも分からず寄宿舎の隣の竹やぶに避難したといいます。 病院の元看護師 古原ユキエ さん 「そこに毛布をかぶって出たんです。そしたら土砂降りだったんですがね、何が何かわからないんですがね、『おーい、助けてくれ』っていいよるんですよね。どうしたのかねっていいよったら、どしゃって足元が抜けてね、竹やぶが土砂で流れた」 土砂に巻き込まれながらも竹につかまり、助かりました。しかし、夜が明けると… 病院の元看護師 古原ユキエ さん 「とにかく病院が全部、前へ流れた。朝、夜が明けてびっくりした。ないんですよ、何も」 豪雨がもたらした土石流が多くの病棟を押し流し、病院は壊滅…。古原さんが看護していた被爆者も含む156人が犠牲となりました。 病院の元看護師 古原ユキエ さん 「命がけで治療してようやく51人残った方、元気に帰してあげようと思ったのに枕崎台風で全部、海へ流れたんですよ。連れて帰って一生懸命していたのに、それがみんな亡くなったというのは、本当にショックでした」 79年経った今でも毎年、慰霊の行事が開かれ、遺族や京都大学の後輩たちが祈りを捧げます。大学は災害の翌年から亡くなった原爆調査班11人の意思を受け継ぎ、調査を再開したといいます。 京都大学 大学院 伊佐正 研究科長 「亡くなった11人の死を無駄にしてはいけないということで調査し分析した結果が原爆症の概念の確立や被爆者の救済につながっていった」 原爆調査班の一員で殉職した祖父をもつ大井さんも毎年、必ずこの地を訪れます。 京都府から 大井千世 さん 「忘れてはいけないと思うんです。この地でこういうことがあって殉職した先生がいて。若い世代にもつないでほしい」 79年前のフィルムには原爆投下という惨状の陰で追い打ちをかけるように起こった大災害の悲劇も記録されています。
中国放送