最近話題のさくらインターネット 成長と余白で変化に対応してきた28年の知見
ガバメントクラウドやAIプラットフォームの領域で、国産事業者としての矜恃を魅せるさくらインターネットの田中邦裕社長がウイングアーク1stのイベントに登壇。 【もっと写真を見る】
ウイングアーク1stのイベント「UpdataNOW24」の基調講演4人目の登壇者は、ガバメントクラウドやAIプラットフォームの領域で一気に存在感を増しているさくらインターネット代表取締役社長の田中邦裕氏。28年前に起業したさくらインターネットの歴史を「成長」「余白」というキーワードで振り返りつつ、会場のビジネスパーソンにコスト削減より成長を志向すべきと強く訴えた。 以前に比べて「知ってるよ」と言われることも増えました 基調講演でゲストを紹介するウイングアーク1st代表取締役社長の田中潤氏。「AIとガバメントの世界、インフラ、プラットフォームがとても重要になってくる。プラットフォームで力を発揮しているさくらインターネットの田中邦裕社長にお話しをうかがいたい」と語る。 同じ田中という名字ということで「邦さん」と紹介されたさくらインターネットの田中邦裕氏。「AIの話はあまりいたしません。AIのテクノロジーやこれからの情勢について私より上手に話せる方はたくさんおられる。私はそれを支えるさくらインターネットという会社と、その会社をどのように作ってきたか、これからどうするのかをお話ししたい」と語る。 「自分で言うのもなんですが、以前に比べて、知ってるよと言われることも増えました」と田中氏。IT・インターネットの業界ではさくらインターネットの認知度は高いが、最近になって知った人も多いはず。「現在は生成AI向けのGPUサーバーやガバメントクラウドの事業者として認定されています。なぜさくらインターネットが注目されているのか。なぜ急にこんなに出てきたのか。その背景を説明していきたい」と田中氏は語る。 さくらインターネットは28年前、当時学生だった田中氏が起業した。もともと高専に通っており、背が高いためいかにも運動ができそうだが、体育の成績は1だったという。「運動で賞を取ることはなかったけど、小学校のときからパソコンやものづくりは好きでした。その勢いで高専に通うことになりました」(田中氏)。 ただ、入学した1993年から卒業した1998年は日本からものづくりが消えた時期。一方で、インターネットが急速に成長し、その時期に起業したのがさくらインターネット。「だから就職するという選択肢と言うよりは、自分が好きなインターネット。その中でとりわけサーバーが好きだったので、このサーバーを持続的に、お金をもらって提供したいなと考えたのが、(創業の)きっかけになります」と田中氏は振り返る。 今では登壇の多い田中氏だが、10年ほど前は少なかったという。「起業してから20年くらいほぼ引きこもりで仕事をしていたのですが、とあるきっかけで外に出るようになり、登壇の機会をいただいたり、業界団体に出入りしているうちに、そこの理事長や会長をさせてもらうことも増えた」とのこと。また自らが高専卒という経験から、若者の人材育成にも携わっており、さくらインターネット以外の活動も活発化しているという。 さくらインターネットに根付く「成長」「余白」、そして「東京以外」 さくらインターネットは1999年に法人化し、2005年に上場して、すでに19年。資金調達も3回やっており、直近では188億円を調達している。サーバーが好きで起業し、いつかはデータセンターということで、創業15年目にしてデータセンターを構築。11年前にクラウドサービス、8年前にAIサービスを立ち上げ、干支が一回りする年月を経て今に至っているという。 田中氏が自らの起業家人生で念頭に置いているキーワードの1つは「成長し続けること」だ。「なかなか厳しい時期もありましたが、いかに成長できるかを取り組んできた人生でもあります」(田中氏)。 もう1つは「余白」だ。「効率化が叫ばれていますけど、本当に効率化が正しいのかと私はよく思います」と田中氏は投げかける。成長途中の3歳の子供にぴったりの服を買うかというとそんなことはない。成長していくので、少し大きめの服や靴を買う。成長が前提になっていれば、絶対余白を持っておく方がよいというのが田中氏の持論だ。 経営者として会社組織をどのように作っていくかも重要。「エンジニアとして起業しましたが、今はどのような事業をするのではなく、どのような会社を作るのか?も重要視している」と語る。そこでのキーワードは「東京以外」だ。 さくらインターネットは大阪に本社があり、データセンターは北海道の石狩にある。従業員は日本各地におり、田中氏も5年前に沖縄に引っ越し、今は那覇市民だ。「ITによって場所の制約が解き放たれたのであれば、なにも東京でなくてもよいのでは?」と田中氏は語る。北海道や福岡の社員は、子供のいる率が東京よりも10%近く高いという。「東京だけが人口が増えているが、人口増によって少子高齢化が進んでいるのも不都合な事実としてある」と田中氏は指摘する。 1978年生まれの田中氏は人口が増えることで困った経験を持っている。人がどんどん増えるので、就職は困難になり、工業団地もどんどん造成された。「だから、人口が減るのはなぜ悪いのかわからなかった。人口が減っても、生産性を高めれば、オフセットできる。ただ、不均衡に人口が減ることによるのはよくない。日本という大きな国が維持できない」と田中氏は指摘する。 デジタル時代の「本社」はたった20坪 あとは広大なコミュニケーションスペース 国土も広く、世界で7番目に海岸線が長い日本。この国土を守っていくためには、テクノロジーとイノベーションが不可欠で、AIは特に重要だという。「デジタル貿易赤字の話もありますが、五箇条の御誓文にもありましたが、外に学ぶことは重要。海外のソリューションを使いながらも、いかに日本でイノベーションを起こし、事業を盛り上げるべきかを東京以外でもやっている」という。 そんな中、大阪の本社をウメキタエリアのグランフリーに移転した。グランフリーは駅前にもかかわらず5ヘクタールあまりの広大な公園。「汐留や品川で国鉄の用地が出てきたときに小分けで土地を分譲し、たくさんのビルが建ちました。もちろんあれでたくさんの人が働けるようになったけど、都市の作り方としてあれでよかったのか? 都市作りとしては失敗したとおっしゃる評論家の方もいらっしゃいます」(田中氏)。 その点、「関西がいかに成長するのか」「成長、余白、イノベーションとテクノロジーをいかに都市にインストールするか」を議論し、チャレンジする中で、関西経済同友会であるさくらインターネットもグランフリーに骨を埋める覚悟だという。 実は移転後の本社機能は、数百坪中、20坪程度しかない。コピー機や登記簿謄本や実印など、本社として最低限置いておくべきモノは一応あるが、「デジタル社会にいまさらそんなもの必要なのか」と田中氏は語る。「社員が働く場所はオンライン、ビジネスについてはデジタル・AI基盤、そして本社にあるスペースはほとんどコミュニケーションする場所です。社内外の人が出入りできるし、カフェがあって一般の人も出入りできます」と田中氏は説明する。 自社でソフトウェアのコントロール権を持つのは企業の経営戦略 田中氏はなぜそんな会社を作ったのか? さくらインターネットは成長の上下が激しい会社もある。2005年に上場した当初はWeb 2.0ブームで成長していたが、その後データセンターブームが来て、都市型データセンターがどんどん建ち始めた。アセットも、コストも持たないさくらインターネットは、2011年に「これからはクラウド化する社会になり、コンピューティング資源が重要になる。省エネになるので、自然エネルギーが必要になる」というビジョンを立て、風力発電で電力がまかなえる石狩にデータセンターを立ち上げた。 とはいえ、単に北の地にデータセンターを建てただけでは、ハウジングの機能がないため、お客さまが来ない。そのため、同時に国産クラウドサービスの「さくらのクラウド」をスタートさせた。13年前には、東京から地方へのデータセンター移転、データセンターからのコンピューティング資産の利用というコンセプトをすでに打ち上げていたわけだ。そして、GPUサーバーの提供開始は今から8年前。「GPUを提供することによって、リモートから超高速なコンピューターが使える。場所は関係なく、いかに省エネで安く使える基盤があるかという時代になりました」(田中氏) その後も外資系パブリッククラウドの台頭で厳しい時期はあったが、昨年はガバメントクラウドの認定事業者となり、さらにAIの基盤としても認知されるようになった。これが可能になったのは、1つは自社ですべてを垂直的に提供してきたからだという。「データセンターを維持する人、ソフトウェアを開発する人、弊社は仮想化基盤までOSSをベースに自社で作っている」と田中氏はアピールする。 「最近は仮想化基盤のライセンス料が上がって大変という話もありますが、いかに自社でソフトウェアのコントロール権を持つのか。これは収益よりも、経営戦略として重要だと思っている」と田中氏はアピールする。大企業に比べて資本や売上では勝てない。でも、自前でソフトウェアを開発でき、インフラを自前で運営できる規模は確保できる。そうなると、次のビジネスはどうなるかを予測しながら、会社をそのビジネスにフィットさせた結果、さくらインターネットの場合は生成AIという大きな波に乗ることができたという(関連記事:久しぶりの事業説明会でさくらインターネットの田中社長が話したほぼ全部)。 コストを下げるという考えを忘れ、成長に向き合おう 田中氏は、「失敗しないことを積み上げても、大きな成功にはつながらない。こうなるはずとビジョンを描いても、そうなるかはわかりません。でも、ビジョンを描いて、近づけていくことができる。生成AIのブームが来るまではかなりハードでしたけど、経済産業省からの投資の依頼に対して、自社の売り上げを超える規模の投資を決断し、AI基盤を構築した」と振り返る。 その結果、ガバメントクラウドの唯一の国産事業者として認定され、クラウドプログラムでは575億円の助成金を得ることができた。「複数の事業者にお声がけをしたそうです。その中で当社だけがガバメントクラウドを前向きにやる事業者だった。当初は外資系クラウド事業者を前提とした基準をいかに打ち壊すかを前提としていたが、それだとクラウドリフトはおそらくうまくいかない。日本のデジタル事業者が自らスキルを上げ、米国の事業者に対抗できる力を付けていく重要性をずっと説いてきました」と田中氏は語る。 ガバメントクラウドに認定されるかもわからない時期から、同社は毎年100人近いエンジニアを新規採用し、30億円近い投資は70億円にまで膨らんだ。ガバメントクラウドに関してもまだ1円も売上は経っていない状態。「でも、それでもやらなければならない。これは本業。サーバーで28年前に起業し、これをいかにクラウドビジネスに拡げていくか。これがわれわれのテーマでもあります」と田中氏。GPUクラウドサービスの高火力サーバーもようやくヒットし、決算発表でも大幅な上方修正が実現した。 最後にアピールしたのは、前述した「成長」や「余白」、そして「変化」への対応というサイクルだ。「物質という点だと、日本は資源もとれないし、モノの値段もドンドン上がっている。だから、モノのコストを下げることができない。インフレの社会になっているので、コストを下げるのではなく、売上を上げないと、利益がとれなくなっている。だから、これからはコストを下げるという考えを一切忘れ、成長するという頭にそろそろシフトすべき」と訴える。 人口増やデフレを前提としたコスト削減より、売上と利益の拡大を志向した成長戦略に前向きになろうというのが、田中氏のメッセージ。「払うお金が増えても、もらうお金が増えれば、サプライヤーにも、従業員にも、いいお金が払える。今まではたくさん売らなければ利益が出ないという刷り込みがあったかもしれないけど、これからのインフレの時代は成長に向きあっていく必要があると思います」と語る。UpdataNOW24に集まった経営者を含めた多くのビジネスパーソンに向けた強いメッセージだった。 文● 大谷イビサ 編集●ASCII