農民は5兆元損をした…中国で農村部と都心部とのあいだに「巨大な格差」が生まれたワケ
中国の農村部と都市部のあいだで、所得や資産の格差が極めて大きくなっています。1979年に「改革開放」政策が始まり、土地や企業などの厳格な公有をやめ、導入されていった土地所有制度の違いが大きく影響しているようです。本記事では、香港の金融調査会社ギャブカルのリサーチヘッドであり、米国の米中関係委員会(NCUSCR)のメンバーでもあるアーサー・R・クローバー氏による著書『チャイナ・エコノミー 第2版』(白桃書房)から、中国の土地所有制度がもたらした歪みについて解説します。 「日本」「中国」「韓国」の合計特殊出生率の推移…1990年~2020年
中国の農村部…農地で十分生産ができるようになるまで
中国の農村部は20年に及ぶ悪政の結果、過剰な人口を抱え貧しかった。1978年から83年の間に集団農業が行われなくなると、たいていの農家は決まった農地を15年耕作する権利を手にしたが、この権利は不安定なものだった。農地は依然として村全体のものとされていたため、村の権力者の機嫌を損ねると、突然に別の、良くない土地をあてがわれてしまうこともあった。同じ土地をいつまで耕作できるかわからないため、農民はその土地に大規模な投資をするのをためらった。 そこで政府は、農民の土地の使用権を徐々に強化していった。*そしてこのような取り組みにより、農産物の生産量は目覚ましく拡大していき、極めて多くの農民が貧困を脱した。*
農地の耕作権は強化されても、所有権は旧態依然
ただし、政府は農民の土地利用の権利は強化したが、同時に、その金銭的価値が可能な限り低くなるように努め、農地は実質的に村の所有であることを強調し続けた。つまり、農民は個人で土地を売ったり抵当に入れたりする権利は持っていないということだ。 一方で、地方政府が近隣の農地をまとめて低価格で取得し、大きなマージンをつけて不動産開発業者に売却し、都市開発しても、中央政府はそうした行為を許容した。 したがって、地価が安い農地を地価の高い都市用途に変えて生じた利益は、まったく農家に渡ることはなく、すべてが地方政府と不動産開発業者のものとなった。そして不動産開発業者は、建設した住宅やオフィスからも巨額の利益を手にした。 その額は驚くほど大きなものだった。世界銀行の推計によると、1990年から2010年までに、地方政府は市場価値より合計2兆元安い価格で農民から土地を取り上げた(執筆時の為替レートで換算すると、3000億ドルに担当する)。 もし、農民たちが適正価格を受け取り、その資金で一般的な投資を行っていたら、彼らは現在、5兆元多く、資産を所有していたはずだ(5兆元は約8000億ドル。中国GDPの約8%※1)。 ※1 World Bank/DRC 2014, 17. 農民の資産を搾取する政策を取ったワケ この「安い農地」政策の動機の1つは、都市の成長の実現である。政府は2000年代初め頃までに、経済成長を最大化するためには、できるだけ多くの人をできるだけ早く農村から移動させて、都市で生産性の高い仕事に就かせる必要があると考えるようになった。 もう1つの動機は、「もし農民が自由に農地を売れたら、抜け目のない業者に騙されるのではないか」という、いくぶん矛盾した懸念だった。 この政策が資産と所得の配分にどのような影響を与えたかを十分に理解するためには、不動産の権利に関する都市部と農村部の大きな乖離()を理解しなければならない。