日本企業が大切に守り続けるべきもの
■もっとも大切な権利は、責任を負う権利である 『レスポンシブル・カンパニーの未来 パタゴニアが50年かけて学んだこと』は、冒頭、カナダ先住民族のジェラルド・エイモス族長の言葉――「もっとも大切な権利は、責任を負う権利である」を掲げている。この言葉は奇異に聞こえることだろう。責任とは喜びや意義を減じるもの、義務であり重荷であると教えられているからだ。だからこそ、エイモスのこの言葉は含蓄が深い。 人が真に人らしくあるためには、生きていてよかったと心から満足するためには、各人の興味や能力に応じて、しなければならないことを学び、学んだことを実践しなければならない。我々が本来的な力を発揮すれば、家族や地域社会において、さらには地球規模で正しいことをすれば、自信が醸成される。自信が生まれれば、創造的なエネルギーや問題解決の能力が事業においても発揮される。そして、新しい知識や能力を活用すれば、社会や環境に対して責任のある形で製品の質や使い勝手を高め、地球から奪うのと同じレベルで地球に返すことができるようになる。 創業から50年で、我々は、そういう経験をくり返してきたし、そのペースはどんどん上がっている。 心の底に抱いているごくシンプルな価値観に基づいて仕事をすれば、正しいことをしようという気になるものだ。社会や環境の制約を会社として受け入れるたび、生物共同体や地球に傷をつける行為を避けようとするたび、パタゴニアの人々は、材料や加工方法を工夫し、製品をよりよいものとしてきた。ミッションステートメントは足かせではなく、ビジネスモデルを実現してくれるものだったのだ。 新たなミッションステートメントを追求するには、真に責任ある形で事業を行うには、請求されたお金を払ったり法律を守ったりするだけでは不足である。まず、自社の名前で行われるあらゆる活動に対して責任を負わなければならない。社員、顧客、事業を展開する地域社会に対しても責任を負わなければならないし、さらには、我々を支えてくれる自然界に対しても、その福祉に責任を負わなければならない。 事業が成功し、健全な社会勢力として活動するためには、すべての利害関係者と持ちつ持たれつの対等な関係にならなければならない。なにかを得たら、それに見合うだけのものを返さなければならないのだ。そうすれば信頼を勝ち取ることができるし、社会的営業免許やソーシャルライセンスと呼ばれるものも得ることができる。 環境や社会という側面で善なる力として活動したいなら、どういう制約を受け入れなければならないのかも学ぶことができる。互恵関係やそれに伴う透明性は、都市やそのインフラをグリーン対応とする、原料から廃棄物までぐるぐる循環する産業構造を構築する、土壌の活力を回復し、田園地帯を復活させるなど、経済活性化の基礎となりうるのだ。 ■日本企業が果たす役割 日本事業は、他国では得られない貴重な経験を我々にもたらしてくれている。日本は品質に対する要求が世界一厳しい。そして、高品質の製品は環境的な持続可能性が高いことが多い。細かいところまで考えて作られているし、耐久性も高く、役割をしっかりと果たしてくれるからだ。 パタゴニアなど会社というものは、100年続くという前提で行動を考える必要があるとイヴォンはいつも言っている。米国企業も昔はそう考えていたのだが、1960年代に入ると、「企業の目的は利益の最大化に尽きる」というミルトン・フリードマンの株主至上主義に取って代わられてしまった。この目標は株価を高く保つには都合がいいが、長期的には、社会にも地球にも悪影響が出るし、それこそ事業そのものにとっても悪影響が出る。その証拠に、1950年代には創業60周年を迎えるのが普通だったのに、いまは20周年さえも難しい。 創業200年以上の家族経営企業しか加盟できないエノキアン協会という組織がパリにある。日本企業も多数加盟している。一番古いのは、717年の創業以来、46代も続く法師旅館だ。これほど長く続けられているのはイノベーションを推進してきたからではなく、1400年の長きにわたって人々の心をつかんで離さない地元の温泉を大事にしてきたからだ。 地球を大事にしよう。これこそが、いまを生きる人の道しるべである。我々が責任ある行動を取りさえすれば、法師旅館は700年後も続いているだろう。
ヴィンセント・スタンリー