孤児は12万3511人、離婚希望者の行列…『虎に翼』寅ちゃんモデルが「家庭裁判所」で見た現実
花壇や噴水があって大きな窓のある家庭裁判所
昭和24年4月には、待望の東京家庭裁判所の建物が落成した。全国初の独立庁舎の完成だ(当時、全国の家庭裁判所はほとんどが地方裁判所の一部を間借りしていた)。 家庭裁判所は、現在も官庁が多い東京・霞が関に建てられ、この一帯では、異色の建物だったという。重厚な建物が多い中、木造二階建ての庁舎は、中心部に塔屋が設置されており、敷地には花壇やタイル張りの噴水もあって、一見すると小学校の校舎のようだった。各部屋には大きな窓があって明るい日差しが室内に差し込む設計で、中庭には一時誰かが持ち込んだニワトリが放し飼いにされていたほど、のどかで和やかなたたずまいだった。 それまでの裁判所と言えば、入り口には警備職員が立ち、窓のない法廷は暗くていかめしい雰囲気だった。こうした裁判所とは真逆の作りは、家庭局長の宇田川が掲げた家庭裁判所の理念のひとつである「真に親しみのある国民の裁判所」の具現化でもあった。家庭局のメンバーとして落成式に立ち会った嘉子は、理想の裁判所が実現した様子を見て、どんなにか胸を躍らせたことだろう。 ドラマの中で、ヤミ米を食べることを拒否して餓死した花岡悟(岩田剛典)の悲報が伝えられた。その後、花岡の妻が描いた絵画を家庭裁判所に飾るシーンが描かれたが、実際の家庭裁判所も明るい雰囲気作りを心がけたようだ。さらに余談だが、花岡のモデルになった山口良忠判事の妻・山口矩子は本当に画家で、彼女の絵を最高裁判所が買い上げた事実があったという。
街に「出張」し、「愛の裁判所」のPR活動も
ここからの史実は、まだドラマでは描かれていない部分も含まれるので、ネタバレを回避したい方は注意して読んでいただきたい。 東京家裁の新庁舎設立に伴い、家庭裁判所を広く宣伝する『家庭裁判官普及会』が立ち上がった。嘉子はその事務局を担当。普及会には嘉子の盟友である久米愛も参加している。久米愛はドラマで大学の先輩でいっしょに司法試験に合格した中山千春説などがあるが、現在時点で誰なのかは不明だ。 家庭裁判所のキャッチフレーズは「家庭に光を 少年に愛を」というもの。このポスターは10万枚作成され、家庭裁判所をわかりやすく解説した『家庭裁判所のしおり』も5万部配布された。創設記念週間には、全国の家庭裁判所で無料相談や幻灯フィルムの上映会、市町村公民館での説明会も実施。ちなみに、先ほど話に出てきた花岡の妻のモデルとなった山口矩子は、家庭裁判所の無料調停相談の鳩が青空に舞うポスターの絵も描いている。 さらに嘉子らは、市民の中に自ら飛び込んで家庭裁判所の理念を広めていく。東京では日本橋三越本店、銀座三越、上野松坂屋など、人気有名デパートで家庭裁判所の出張家庭相談を行ったのだ。裁判所がデパートに出張するなど、前代未聞の出来事だった。戦前の意識が抜けない頭の固い裁判官らが苦虫をかみつぶした表情で眺めていたであろうことは、想像に難くない。 嘉子らの活動が実り、毎朝開庁時間になると、東京家庭裁判所の前には女性が列を作った。嘉子は当時発行した、法務庁が編集する『法律のひろば』という雑誌に寄稿し、こう書いた。 「いま、地方裁判所を『正義の裁判所』とすれば、家庭裁判所は『愛の裁判所』ということができませう」 ドラマ内で多岐川が「家庭裁判所は『愛の裁判所』だ」というセリフがあるが、この理念は史実も変わらないのだ。後編では、三淵嘉子が家庭裁判所とどのように関わり、認知を深めていったのか、エピソード交えてを追う。 【参考文献】 ・『三淵嘉子と家庭裁判所』(清水聡編著/日本評論社) ・『三淵嘉子の生涯~人生を羽ばたいた‘’トラママ‘’』(佐賀千恵美著/内外出版社)
若尾 淳子(ライター)