「物部氏通じ朝廷に奉仕」坂本1号墳の〝主〟推理 三重・明和
奈良大・豊島教授が斎宮博物館で講演
三重県多気郡明和町坂本にある坂本古墳群の県指定史跡20周年を記念し、町は23日午後1時半から、竹川の斎宮歴史博物館講堂で講演会を開いた。考古学ファンら約50人が聴講し、魅力を再認識した。 同古墳群は古墳時代の末期に造られた。150基以上の古墳が密集していたが、昭和初期の開墾で大部分が壊され、現在は6基が残るのみ。1995(平成7)年度から発掘調査を行い、1号墳から出土した金銅装頭椎大刀(こんどうそうかぶつちのたち)は2001(同13)年に県の有形文化財に、古墳群は04年に県の史跡に指定された。 まず「ここまでわかった坂本古墳群」と「坂本1号墳の発掘調査」についての報告があり、その後、奈良大学文学部教授の豊島直博さん(51)が「金銅装頭椎大刀の魅力と坂本1号墳の被葬者像」と題して講演した。 豊島さんによると、1号墳から出土した頭椎大刀とは、把頭(つつがしら)が木の根や握り拳の形をした刀で、金や銀で飾る装飾付大刀の一種。はと目金具の長さで新旧を見分けることができ、6世紀後半の生産だという。 最古の頭椎大刀が奈良県天理市の布留遺跡で出土しており、近くに武器武具を守ってきた物部氏を祭る石上神宮が鎮座することを考えると、物部氏が権力の証として頭椎大刀を造り、下賜していたといった仮説が成り立つ。 大刀が出土した1号墳の被葬者像については「被葬者は若かりし頃、物部氏を通じて大和朝廷に奉仕した。軍事や警察の仕事をし、任期を終えて下賜された頭椎大刀を故郷に持ち帰り、栄誉の宝物として生涯大切にした。そして亡くなった時、一緒に埋葬された」と推理。さらに1号墳は「物部氏の本拠地である天理で見た日本最大の前方後方墳・西山古墳を自国で再現したことも十分考えられる。または奉仕先の大和で全国の豪族と接触したとき、刺激を受けて、自国で再現することもあり得たのではないか」と結んだ。