【実録 竜戦士たちの10・8】「負けなかったんだからいいじゃないか」痛恨ドロー後に首位転落…チャンス逃した主砲のバットにも異変が
◇長期連載「実録 竜戦士たちの10・8」 高々と夜空に上がった白球は、本拠地ファンの大歓声の後押しを受け、そのまま右翼席に吸い込まれた。 1993年10月13日。この年初めて1番に起用されたアロンゾ・パウエルが初回の先頭打者アーチに続き、最後は劇的サヨナラ弾。ヤクルトの連勝を11で止めるとともに、野村克也監督の胴上げに「待った」をかけた。 スタンドを埋めたD党たちも、竜戦士たちの意地が詰まった勝利に多少、溜飲を下げたことだろう。ただ、中には「あのときに打ってくれていれば…」と複雑な思いで、背番号30の活躍を見つめるファンもいたはずだ。 当時のセ・リーグは引き分け再試合制(延長は最長15回)をとっており、そもそも、この試合そのものが「あのとき」の再試合として組まれたものだった。 首位・ヤクルトと2位・中日が2ゲーム差で顔を合わせた8月31日からの直接対決3連戦(ナゴヤ)は中日が初戦にサヨナラ勝ち。2戦目も1点差で連勝し、ゲーム差なしながら、勝率でヤクルトを抑え、ついに首位に躍り出た。 野村も「手の打ちようがないな。今の中日にはついていけんわ」と、お手上げのポーズでボヤいたものだった。 そして迎えた第3戦。完投勝利目前の今中慎二が9回2死から池山隆寛に同点弾を浴び、長い長い延長戦に突入。それでも2ー2の15回裏、中日に無死満塁でクリーンアップという最高のサヨナラ機が巡ってきた。 だが、ここでパウエル、落合博満、彦野利勝がヤクルトの6番手・内藤尚行の前に3者連続三振。中日にとっては痛恨のドローとなった。 「最後にクリーンアップがアレじゃな。まあ、負けなかったんだからいいじゃないか」 何とか前向きにとらえようとする高木守道監督だったが9回、15回…。2度、勝利を手元に引き寄せながらの4時間56分引き分けに、さすがに疲労感がにじんでいた。 かろうじて3タテを逃れたヤクルトが翌3日の巨人戦に勝ったため、中日はわずか”三日天下”で首位陥落。さらに4日の阪神戦を落とすと、5日は5点リードの9回に一挙8点を奪われ、まさかの連敗。それ以降、中日が首位に返り咲くことは最後までなかった。 そして、ここまで強竜打線を引っ張ってきた主砲のバットにも大事なシーズンの終盤を迎え、異変が起きていた。 =敬称略
中日スポーツ