ロールス・ロイス傘下の「ダービー」世代 ベントレー 4 1/4リッター・ヴァンデンプラ(1) 端正なコーチビルド
ロールス・ロイス傘下のダービー・ベントレー
ロールス・ロイス傘下にあり、グレートブリテン島中部のダービー工場で生産されたベントレーを、マニアはダービー・ベントレーと呼び愛している。しかし、WO.ベントレー時代を知る古いオーナーから、かつては懐疑的に見られていた。 【写真】ロールス・ロイス傘下の「ダービー」世代 ベントレー 4 1/4リッター 同時期の優雅なクラシックたち (138枚) それ以前、ロンドン北西部のクリックルウッドへ拠点を構えていた頃は、速く無骨で堅牢なクルマ作りが重視されていた。上質なパワートレインで運転しやすいというコンセプトは、初期のベントレーとは相容れないものといえた。 これは、若いターゲット層へ訴求しビジネス拡大を狙った、新体制による方針だった。大恐慌から明けたばかりの世界は、まだ冷え込んだ状態にあり、開発費を巧みに抑える戦略でもあった。 航空機エンジンの契約は減少し、ロールス・ロイス・ファントムIIや20/25といった既存モデルの販売は不振。ダービーの工場では、シャシーの生産量を増やすことが喫緊の課題になっていた。 ライバルのネイピアに競り勝ち、同社は1931年にベントレーを買収。高級車市場で優位な立場を得ただけでなく、ル・マン24時間レースでの優勝という、築き上げられた確かな評判と技術的な資産を手中に収めた。 開発が進められていた、小さく軽いエントリー・モデルの展開に、絶好の条件が揃ったといえた。ロールス・ロイスをベースに仕様の調整が煮詰められ、1933年のロンドン・モーターショーで発表されたのが、新しいベントレー3 1/2リッターだった。
端正で美しく、多様なコーチビルド・ボディ
ダービー・ベントレーの魅力の中心にあるのが、極めて端正で美しく、多様なバリエーションが存在したコーチビルド・ボディ。流線型のシルエットや優雅なピラーレスのサルーン、オープントップのツアラーなど、多様なスタイルが生み出された。 とりわけ裕福なオーナーがワンオフ・ボディを指定する事もあったものの、それ以外は完全なオーダーメイドというわけではなかった。カタログに載る、ベントレーが承認したデザイン案から選ばれることが通常だった。 これは、自社工場でボディを量産するという、両ブランドが取る次の体制の足がかりになった。中でも、ロールス・ロイスから出資を受けていたパーク・ウォード社は、最も標準的な選択肢の1つといえた、スポーツサルーンを優先的に生産した。 最盛期には、60社ものコーチビルダーが、ダービー・ベントレーのボディを製造していた。ロンドン近郊だけでなく、グレートブリテン島各地で働く職人を潤した。だがパーク・ウォード社は、全体の半数近くを生み出していたようだ。 ベントレーのイメージを守るため、顧客には大きすぎるボディは勧められなかった。それでも、豪華なインテリアによる重量増を受け止めるべく、エンジンの排気量は拡大。3 1/2リッターに加えて、1936年には4 1/4リッターが追加されている。